奈緒:「私」として視点に立つ女子大生。
香織:奈緒の親友だが不満を持っている女子大生。
なお、”哀れな喜劇”とリンクしています。
奈緒:「私」として視点に立つ女子大生。
香織:奈緒の親友だが不満を持っている女子大生。
なお、”哀れな喜劇”とリンクしています。
私は時計を見つめた。
予定より早く用事が終わった。
今から向かっても大丈夫だろうか。
「早く着いたら、一人で待ってれば良いよね」
誰とも無くつぶやいて、通っている大学へ向かうために電車に乗り込んだ。
私は今日の午後4時から、友人の香織と大学の研究室で会う約束をしていた。
この頃忙しくて中々こう言った機会がなかったから、久しぶりだ。
もっとも、別に勉強とかバイトで忙しかったんじゃないし、
もしかしたら、どこかで気が引けてた・・・のかも知れない。
何に気が引けてたかって―――
「――・・・さい。ドアが閉まります、ご注意下さい」
アナウンスの声に、はっと我に返った私は、慌てて駅のホームに転がり出た。
私は今、香織が今交際してる相手と、その・・・。
要するに、私が浮気相手です!と一言伝えさえすれば済む問題・・・では無いか。
もう大学も卒業間近だし、バレないなら何も言わずこのままってのもアリかなぁ。
そんな風に思うこともあるんだけど。
それに私の方が先に拓海のこと、気にかけてたんだし。
とか何とか言い逃れじみたセリフが頭に浮かんでは消えていく。
二人で話してる時は、楽しくてそんな事は忘れてしまうけど。
目的の場所に着いたが、どうやら香織が先に着てるらしく、中から声がする。
また独り言だろうか。よく自分を励ます時にやっているのを、私は知ってる。
不気味だからやめなよって、何度も言ってるんだけどね。
「もう後戻りなんて出来ないんだから!」
なにやら気合を入れてる香織の後ろへ、こっそりと近付く。
「うんうん、よく分かんないけどがんばってね」
「もっちろん、あのにっくき……奈緒!?」
うんうん、面白いほどの反応だ。
私はクスクス笑いをこらえて、戸惑い顔の香織を眺めた。
「ど、どーしたの?」
香織の顔が青く見える気もするけれど、そんなに自分は驚かせたのだろうか。
「えー、どうしたのって、何が?もう約束の4時でしょ」
結局、間違えて各駅停車の電車に乗ってしまった私は、
程よく時間が潰れるだろうと言うことで、そのままやって来たから丁度良いはずなんだけど。
おかしいな。
首をひねって、横手の時計を見やる。時刻は3時を指していた。
「あ、ほんとだ。また私ったら短針ずれてたかも。まぁ問題ないよね」
「…あんたは無いかもね」
疲れたように香織がため息をついたのを、私は見逃さなかった。
「うん、私は悩み無いからさー、その分なら相談に乗るよ」
もちろん、色恋沙汰の相談に乗れる身ではないけど、それ以外では普通でいたい。
「今は奈緒の土産話が聞ければ、それで良いわ」
香織が木のイスに腰掛けると、使い古されて色あせているそれは、ギシリと一つ、大きくきしんだ。
いつもなら文句を言う香織が、珍しく何も言わなかった。
自分の体が重いみたいで嫌だと、よく言っているのに。
―――やっぱり、何か考えごとかな?
もしかして、私と拓海の関係がバレたとか。
いや、そんなハズないよ。バレてたら今ココでこんな風に会ってるワケ無い。
香織の性格からして、そこは大丈夫。
でも、すごい怖い顔してるんだよね。もしかして、まだ怒ってるのかなー。
去年の合宿でアイス横取りした時のこと・・・すごかったもんなぁ。
もうすぐまた合宿だし、思い出してるのかも。
「どーしたの、怖い顔しちゃって」
「え、ああ、今度の試験を考えてたら、つい」
思い切って聞いてみると、意外と何でもなさそうな内容だった。
試験でピリピリするより、その後のことを考えていた方が、精神衛生上、香織には良いと思う。
なぜかコレだけは神経質になるんだから。
「ああ、もうすぐ夏休みだなって考えれば良いんじゃないかな。それよりほら、食べない?」
そう言うなり私はいそいそと、カバンから白と赤の箱を取り出した。
それを慎重にテーブルに置くと、ゆっくりと開く。
今日は香織にご馳走を用意してきたのだ。
「じゃじゃーん、なんと!
香織ちゃんの食べたがってた晶月堂のケーキでーす」
「うわっ、開店前から並んだの?」
「へへ、朝の授業サボっちゃった」
箱に貼られた15、16と書かれたシールは、それが何個目に売られた物かを表している。
―――数量限定での販売のせいで、中々手が出せないんだよね
そんな話をしていた事を、今日の約束を取り付けるメールをもらった日に、ふっと思い出したのだ。
それで早くに起きて、無事に買ってきたという訳。
おかげで午前中、ずっと眠かったけど。
「まさか・・・」
「まさか?」
「いや、まさか買って来てくれるとは思わなかったなーって」
良かった、もう食べたって言われるかと。
それから他愛の無い話をしていた。部活のこと、試験や卒論のこと、服や映画のこと・・・。
「ねぇ、そう言えば土産話の1つも無いの?」
香織が言っているのは、先週末に私達が旅行した時の話だろう。
高校の時の友人と、と言う事にしていた。
それに本当に、高校の時の友人が営んでいる旅館に泊めてもらったから、積もる話もあった。
でも本当は、拓海が一緒だった。香織を含め三人とも山岳部で、富士に行った話は、香織にもしてある。
逆に言えば、他には何も言っていない。
「え・・・ああ、天気が悪くてね、登れなかったんだ」
しばし考えあぐねた挙句、私は肩をすくめて見せた。不自然じゃないと良いんだけど。
「それより香織ちゃん。私、飲み物いれるけど、どう?飲む?」
「い、いいよ、あたしがやるから、ケーキ美味しかったし」
香織が勢い良く席をたった。良すぎて危うくイスが倒れかけた程だ。
私は台所でせっせと準備してる香織を見ていた。
台所の勝手は、自分の方が知っているし、いつも自分がやっている。
なのに何故か今日は香織が張り切っている。
―――変なの・・・
せっかくの好意を無駄にするのも悪いので、任せてはいるけれど。
正直、香織が気になってノンビリできない。
母の日に、子どもたちに家事を任せる母親の心境って、こんな感じなのだろうか。
「お待たせー」
香織が笑顔でトレイを置くと、疲れたように息を深く吐き出した。
その様子に首をかしげながらも、私はカップを手に取った。
甘い物を食べるって言うのに、飲み物の準備を忘れてたなんて。
洋菓子に緑茶ってどうなのって思うけど、口直しには良いし―――と、飲もうとした時だった。
「あああ待って奈緒、それカップ!」
「・・・カップ?」
私は危うく落としそうになったカップを、何とか持ち直す。
「そ、そうカップ、汚れてるから変えてこよ、ね!」
―――汚れてるって、どこが?
言うよりも見るよりも早く、香織がカップを奪い取って台所へと戻っていった。
忙しい人だなぁ。別にちょっとくらい、気にしないんだけど。
次いで香織の運んできたのは、コーヒーだった。
「そんなに慌ててると、香織ちゃんヤケドするよ」
もしかして、私に大事な話があって呼び出したのかな。
様子がどこかおかしい香織を眺めながら、とりあえず私はカップを受け取った。
ずずず・・・。
私はコーヒーを少し口にして、顔をしかめた。
私が甘党なのは香織の良く知るところのハズなのだけれど、気が動転でもしてるんだろうか。
ただ、物は考えようとも言うし、あえてこのまま飲んでしまうことにした。すごい苦いけど!
ずずず・・・。
長引かないようにと、私が一気に飲み干すと、香織が唖然とした表情で見つめていた。
「ど、どうしたの奈緒、砂糖入れずに飲むなんて」
「だ・・・・・・ダイエット、しよーかな、って」
私は、思わず口に広がる苦さで身震いしていた。
ダイエット中だし、別に無くてもいいかと思ったから、何も言わなかった。
「そんなの、大して変わんないって・・・いまレモンティー持って来る」
私が極度の甘党なのを知ってる香織の事だ、大してかわんないって言うのは『今更』って意味だろう。
入れる砂糖の量が多いのは、知ってるはずだ。
私を気遣ってるのか、香織は席を三度たとうとしたが、さすがに私が止めた。
「そんな何度も良いよ、やるからさ!」
ガチャガチャと言わせながら、私はコーヒーやケーキにと棚から出した物を全て、手際よく台所へ運んでいく。
やっぱり“こっち“の方が、私は落ち着くらしい。
さて、何を淹れようか。レモンティーやアップルティーはもちろん、
ハーブをあれこれ混ぜた物だって、ココでは無駄に作ることが出来る。
一重に自分が私物を持ち込んだ末の結果だけれど。
気分で葉を選ぶと、それをカップに注ぐ。
・・・そこで私は、ある誘惑に襲われたのだった。
「はい、お待たせー」
笑顔で紅茶を持っていくと、香織は何処か上の空で飲んでいた。
今なら、大丈夫だろうか。私は考えた。
もし香織が何か大事な話で私を呼んだのなら、私も香織に言うべきなのかもしれない。
やっぱり私、あんな女癖の悪い男とは別れようと、今ココで決めた。
「香織ちゃん、私ね・・・実は、香織ちゃんに言わなきゃいけないことがあって・・・」
その時だった。
向かいに座る香織の様子が――さっきから変だったが――明らかにおかしくなったのは。
「・・・香織ちゃん?」
私には、1つ思い当たる節があった。
昔、おこづかいを貯めて買った誕生日ケーキサイズのデコレーションケーキを、1人で食べた時の事だ。
なんと、あまりの甘さに気分が悪くなってしまったのだ!
今の香織の状況は、何処かそれと似た物が感じられた。
これが笑えるようで笑えない事態だと、だから私は良く知っていた
「ごめん、もしかして砂糖入れすぎちゃった?甘すぎた?気持ち悪い?」
駆け寄って聞いてみるが、どうもそれだけではないらしい。
「あ、あんた・・・紅茶に・・・砂糖?」
「う、うん・・・」
なんとか答えると、私は水道水を汲みに行った。
「やっぱり甘いものが欲しくって・・」
恥ずかしさで消えたい気持ちになりながら、私は続けた。
「でも我慢しなきゃって思って、それを香織ちゃんに渡しちゃったの」
「・・・あ、そ」
「ごめんね、香織ちゃん無糖派なのに」
香織が不思議な笑みを浮かべると、その身体から力が抜けていく。
「え・・・香織ちゃん・・・?」
返事は、なかった。