鏡ノ欠片

虚ろな霧

いつもの帰り道だったハズだ。
作業のように進む日々の記憶をたどるのは、今の自分には容易くない。
それでも、さすがに一日二日前のコトは覚えている。

宿舎の前で呼び止められた後、”言いつけ”通りに二つ隣の町に出向き。
用件を済まし、あの日のように考え事をしながら、歩いていたのに
今居る場所は、覚えのない場所だった。
間違えていつもと違う道に来た訳でもなさそうだ。

「どこだ…ここ」
辺りは、霧に覆われていて視界が悪い。
路地裏でもなければ、抜け道でもない。
かなり大きな通りなのに、人通りはまったく無い。
しん、と冷える夜気に、言葉も足音も呑み込まれていく。
ともすれば、この身体もどこかに持って行かれそうな…

「ばかばかしい」
よぎる錯覚を打ち消すように、俺は頭を振って吐き捨てた。
湿気を含んだ髪が、はずみで揺れる。
―――……?
一瞬、何か”不自然な物”を見た気がした。
何を見たのだろう。
それは大事な何かな気がしたが、勘違いだろうか。
自分がこの場所に居る理由も、分かる気がした。
だが今の強烈な違和感が何なのか、一瞬首をかしげて。
…それ以上は、やめにした。

この頃、無駄なことを考えすぎる。
それこそ今まで通りに、過ごしていけば済む話だ。
そう決め込むと、再び歩き出す。
見覚えがないどころか、良く見れば辺りの景色は
この町のモノとは思えないほどに”異質”だったが、それも気にしない。

コツコツと、進むたびに微かに響く音色。
足元のこれは、ひどく硬い土だろうか、特にニオイはしないが。
道の右には、積み上がった灰色のレンガが、夜に溶けて黒い影を落とす。
見慣れないデザインではあるが、所々に照明器具が置かれているから
横道の先にある街並みも、見ることができる。
そこにもやはり、知らない景色が続くばかり。

別に『どうしてココに居るか』は、この際どうでも良い。
ただ、帰り道が分からないのは、大いに問題がある。
宿も見当たらなければ、飲食店もない。
そもそも、人影どころか民家も―――

ふと、立ち止まる。
さっきから、同じような景色が続いているのは、分かっていた。
分かっていたが。
「…本当に同じ道、か」
そう ( つぶや ) いて、見上げた先には壊れた照明。
支柱の上、ヒビ割れた入れ物の中で、灯が不規則に明滅している。
それが、この無機質で味気ない世界を、余計に際立たせていた。
夜の明りに群がる虫は、見当たらない。

現実でこんなコトが、起こる訳はない。
もしも夢なら、とっとと覚めて欲しい。
こんな面白みの無い夢は、見続けていたくない。

ため息を一つつき、三度、歩き出す。
出口のアテに、思い当たった訳では無い。
夢なら、何をしていようが関係ないし
そうでないなら、立ち止まって解決はしない。
だから渋々、歩くしかなかった。

だが、突然。
不意に足が動かなくなった。
疲れたわけでも無いのに―――

瞬間――目の前が、弾けた。

踏み出すべきだった場所に、何の前触れもなく穴が開いていた。
何が起きているのか、やはり分からないが
”破壊の力”とも呼ぶべき何かが、道を穿 ( うが ) ったことは理解した。

当然、あのまま歩を進めていれば
飛び散ったのは、石ではなく肉の砕片。
背筋を何かが伝うが、とりあえず相手の不意打ちは失敗に終わった。

俺は頭を切り替えると、すぐに前に飛び出し振り返る。
視線が、道の穴と、真横の灌木 ( かんぼく ) に 縫い付けられる。
思わず、後退りをしてしまう。
それが普通の反応だろうが。
こんな時こそ、背後に注意を配るべきだと知っている。

これだけ生き物の気配が無い、異様な場所なのだ。
光に集まる虫も、鳥の鳴き声も、何も無い、そんな世界。
後ろに誰かが立てば、嫌でも気づくと言うものだ。

視線の先には、どこから湧き出たのか、ただずむ黒い影。
それは何も考えずに宙を見据えるように、どこか超然としていた。
霧でボヤけるほどの距離でもないのに、その姿はぼんやりとして、特徴がまるで無かった。
その視線だけは、こちらから外さぬまま、じっとしている。
道に穴が開いたと言うのに、その場でじっと立っているその姿に
無言の圧力をかけられているのを、確かに感じた。

だから、そいつが何かしてきたと言うことも、
敵意が自分に向いていることも、俺は察しが―――いや、初めから知っていた気がする。
同時に、今から自分が逃げ出すことも、分かっていた。

―――なんだ、これ。
胸の中で、先ほどの違和感が強さを増していく。
響く音が、どこか虚ろで、現実感がまるで無い。

道を左へ、右へ、また右へ。
逃げているハズなのに、何かの跡をたどるように
霧の中を、足が勝手に駆け抜ける。
どう言うわけか、今度は似たような…それでも異なる景色に移ろっていく。
もう同じ場所に戻されるコトは、無いらしい。

別に、自分ならあんな奴、返り討ちに出来るだろう。
なのに、どうして逃げるのか。
そんな、いくつ目かの疑問に、しかし今度は返事があった。

―――そりゃぁ、今のオマエじゃムリだからだろーよ

どこかで聞いた覚えのある声だったが、思い出せない。
謎の影を振り切ったのは良いが、今アイツが何処に居るか分からないと言うのは
むしろ、不気味さが増すようにも思える。
この角を曲がった先で、出くわすかも知れない。
何度もそう思いながら、それでも角を曲がっていった。
自分でも不用心に思えるほど、無防備に。

しきりに、先に行くなと”声”が聞こえる。
それなのに、何故か足は進んでいく。
そう思えば、思うほど。
何処をどう進めば良いのか、知っているかの様に。

どんどん、どんどん進んで行って…
そこに、たどり着いた。
目の前には、黒々と広がる、大きな黒い影。
それが家だと、目的地だと、根拠の無い確信があった。

ドアに手を掛けてはいけないコトも、分かっている。
なのにやはり、手を掛けて―――
「―――――――ぁっ!」
後ろに”何か”を感じた時には、全身を激痛が貫いていて。

「―――ぅあっ!?」
階段を踏み外したかのように、足が宙を掻いて。
落ちると錯覚したのか、身体がビクリと跳ね…
起き上がった、布団から。

一連の謎の解決に、納得しつつも
なんだか無性に情けなくて、ため息を一つ。
夢なら覚めろと、確かに思ったが。
まさか本当に夢だとは―――。
ひどく嫌な熱気に身体が包まれていて、熱い額に手を当てる。
また妙な違和感があったような気もしたが、すぐに忘れてしまった。

「よぉ、やっと起きたか」
けだるそうに顔を上げると、部屋の入口で
廊下の明りを背に、一人の男が影となって、ドアに寄りかかって居るのが見えた。


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