鏡ノ欠片

館の主

「なんだよ、どうかしたか?」
そう声を掛けられて初めて、俺は男を凝視しているのに気づいた。
あわてて視線をそらす。
何も驚くことじゃない、その男が―――

「変わった色のウロコでもあったか?」
―――その男の顔が、ウロコに覆われていようと。
冗談めいたことを言って、そいつは静かに笑う。
それが口を利こうと、何も不思議がることはない。

どうやら、まだ夢の残滓 ( ざんし ) が、こびり付いているらしい。
「別に、どうもしないさ」
思っていたよりも、自分の声にはトゲがあった。
対する男は、動じた風もなく、むしろ楽しげだ。
「今日の狼小僧は、珍しくご機嫌ナナメじゃねーの?」

それには応えず、起き上って簡単な身支度をする。
こいつの用件は、だいたい分かっていた。
今夜は天気が悪いのか、窓の外には塗り潰したような黒が広がるばかり。
照明をつけもせず、暗がりの中を歩き回る。

別に、明りは無くとも困りはしない。
寝具が一つと、衣類の入っている棚が一つ。
その横には、先ほどまで着ていた服が、吊るされている。
他にも、小さな木の椅子と、これまた小さな机が隅にあるが
どれもこれも、飾り気などない、質素なもの。

「…朝まで待てなかったのか」
支度を終えて入口へ歩み寄るなり、憮然と言い放つ。
「おいおい、これでも待っててやったんだぜ?」
どこか、おどけた様子で男は目を丸くした。
そのまま早口でアレコレまくし立てる様子が、やはりどうにも楽しそうだ。

男の話を半分聞き流しながら廊下を歩いていると、最後にこう締めくくられた。
「オマエが夢でうなされてる間も、ちゃんと見ててやったし」
…見てないで起こせ。
それが顔に出たのか、ますます男の顔は嬉しそうな表情を強めた。
ここでようやっと、俺はこいつが何を楽しんでいるのか、察しがついた。

「オマエも、たまには年相応に無防備な寝方するんだな?」
答える代わりに、不満気に鼻を鳴らす。
自分で思っていたよりも、俺はうなされていて。
それをずっと、この男に観察されていたのだろう。
こいつは、そう言ったモノがこの世で一番好きなのだから。

「ホラ、ついたぜ。ボーヤ」
相変わらずゴキゲンな笑みを浮かべたまま、頭をポンポンと叩いてくる。
どうも自分より背の低い相手の頭は、こうしてやりたくなるらしい。
まったくもって、迷惑な話だ。

柔らかな白の壁が続く廊下を、壁に揺らめく灯が
ほのかに赤く染めている中、ウロコをきらめかせて男は去って行った。
…もちろん、睨みつける俺の視線を背中に浴びつつ。

案内されたのは――と言うか、される必要もないのだが。
冷やかし半分に、ついてきただけだろう。
廊下の終わりには、艶のある大きな木製の扉。
木枠に精巧な彫り物がされていて、質素な他の内装とチグハグだった。

チグハグと言えば、この両開きの扉には、板の境目が無い。
当然、これでは中に入れるハズも無いのだが
俺はもちろん、どうすれば良いか知っている。

扉の中央に手を触れ、そのまま下へ滑らせ木枠の装飾に、 ( てのひら ) を重ねる。
丁度そこに、丸い膨らみがあるのだ。
変化は、しばらくして訪れた。
廊下を照らす、赤い揺らめきが、弱まってきたのだ。
何も知らない者には、唯一の光源を失いかけたようにも思えるだろうが、そうではない。

通路を彩る赤を、淡い緑が圧していく。
その光は、扉と、自身の手との間からこぼれ出ていた。
もう良いか。
誰ともなく、そんな呟きを漏らし、俺は手を離す。

手を置いていた場所に、溜まりに溜まった輝きは
木枠に沿って、装飾の溝を埋めるように流れ出る。
その輝ける装飾に、なんらかの意味があることまでしか知らないが
緑の光は、両端の角までやってくると、逆巻く水のように紋様を描きながら駆けあがる。
扉の上方、下と同じような膨らみで、左右からぶつかり合った緑が渦を描く。
扉を囲う木枠が、すっかり辺りを緑に染め上げると。

扉が、揺れた。

誰かが内側から、衝撃を与えたのとは違う。
水面に波紋が広がるように、もう一度、木の扉が揺れる。
そんな非常識な光景にも、ここに通う者は誰も驚かない。
慣れとは恐ろしいものだと、俺は他人事のような感想を抱いた。

「…そこに居るのは、誰かね?」
扉が波打ち、口を利いた。
正確には、扉の向こうに居る人物の発した言葉だが。
その声は、初老の男性のものだった。
「お呼びと聞いて、やって参りました。ケルです」
静かに応えると、おお、と嬉しさを ( にじ ) ませた声。

まぁ実際、俺は別に”ウロコ男”にどうでも良い話を聞かされただけで
ここに呼ばれた覚えなどは、まったく無い。
お互い、”いつものコト”に慣れてしまっていただけだ。

「君を待っていた、さぁ中へ」
部屋の主たる男の言葉に応えるように、天井付近に溜まった光は
すぅっと、真下に流れ出て、流れの始点と繋がった。
すると、その筋に沿うように、扉に切れ込みが現れ
光は、その隙間へとこぼれ出ていく。
廊下は元の静けさを取り戻し、俺は扉に手を掛ける。

分厚く、重いハズの扉は、滑らかにその身体を滑らせた。
大きな大きな、運動をするのにも使えそうなほどの部屋。
足元には、洒落たカーペットが敷かれ、心なしか他の場所よりも明るい。
目の前には、タテに長い食卓と、無数の椅子。
椅子の肘かけや、食卓の脚は、見事なまでの艶を放っている。
ここだけ特別な場所なのだと、一瞬で理解できる、そんな場所。

初老の男が一人、椅子に腰かけていた。
先ほどの短い会話の相手にして、この部屋の主。
純白のパリッとした服に身を包み、その頭には二本の巻き角を携えている。
満足げな表情で、白く豊富なアゴ ( ヒゲ ) ( ) でながら
その老人は、俺に座るよう告げた。

「どうにも眠れなくてね」
相手は、静かに、だがよく通る声で切り出した。
「申し訳ないが、老いぼれの話に付き合って欲しいのだよ」
柔和な笑みを浮かべる相手に、俺はただ、無表情に一つ、うなずいた。

いつも通りの動作で、腰かける俺だったが
実のところ、目の前に居るこの男の素性を、正確に知っている訳ではなかった。
何度も、こうして会っているにもかかわらず、だ。
いや、もしかしたら”こうした形でしか”会っていないからこそ、かも知れない。
どう言うわけか、会うたびに自己紹介をされていると言うのに
その名前すら、覚えることができないでいた。

「おっと、まずは礼が先だったかな?」
男は懐に手を突っ込み何かを取り出すと、目の前に掲げて、その指を広げた。
そこには、なんとか片手に収まるほどの、透き通った石。
あまりに透明で、辺りの光を受け ( きら ) めかなければ
そこに何があるのか、気付けもしないだろう、そんな宝石だった。

「本当に、君に相談すると良いコトがあるのだよ」
うんうんと、一人顔を ( ほころ ) ばせる老人に、 あいまいに俺は ( うなず ) く。
「君と会ったあの後、ひょんなコトから、これを手にすることが出来てね…」
男はそれをしまいながら、反対の手で袋を差し出す。
「このようなもので済まないが、これは私の気持ちだよ」
小さな袋は重みに負けて、中の形を少し浮かび上がらせる。
そこにあるのは、まず間違いなく小瓶。
いつも、俺が受け取っているものだ。

「…いえ、僕は相談に乗っただけですから」
しかし、俺は柔らかな笑みを浮かべると、自然な動作でそれを断る。
「そうかね? …君がそう言うのなら、無理は言うまいよ」
老人は、肩を落として残念そうに、袋をしまう。

「君は、飲まんのか?」
男は、自分もカップの茶を飲みながら、俺に勧めた。
いま気付いた、といった風な反応を見せ、俺は茶を手に取る。
「ああ、僕だけ先に飲むのは気が引けてしまって」

ことり、とカップを置くなり、俺は初めて自ら口を開いた。
「今日は、どういったご相談なんです?」
そうだったそうだった、と何かを思い出すような、老人の仕草。
この山羊と狼のやりとりは、ごく自然に見え、それでいてどこか不自然だった。



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