鏡ノ欠片

出会い

「こんな時間に使用人の部屋を訪ねて…また叱られますよ」
ムダだろうと知りつつも、一応、ケルは困ったような怒ったような、そんな苦情を漏らす。
「あなたが黙っててくれれば、誰にも分からないわ」
無邪気に微笑む少女に、内心ウンザリしながらも、仕方なく部屋に招き入れる。
このままでは、まず間違いなく誰かに見 ( とが ) められる。

迷いも不安も、緊張感もなさそうに、少女は部屋に足を踏み入れる。
名はアトナ、と言ったか。
使用人たちは、お嬢様と呼ぶし、親とはあまり会っていないようで
名前で呼ばれるコトは、あまり無いようだった。
そうとは知らず、挨拶の時に”アトナ様”などと呼んだのが失敗だった。
ずいぶん気に入られたらしく、どこでもついて来るので、調査の邪魔になっている。
一度は、使用人を束ねている女に、二人そろって怒られたコトもある。

「私が黙ってたって、誰に見られてるかなんて、分からないんですよ?」
外に誰もいないのを確認して、ケルは扉を閉じる。
聞いているのか、いないのか。
アトナは、柔らかなソファに飛び乗ると、満足そうに言った。
「それが楽しいんじゃない、エルは分かって無いのね」
エル、と言うのは、もちろん偽名だ。
―――そんな”楽しみ”なんて、今の俺には一番不要なものだ。
言えるものなら、言ってやりたい。

「まさか、朝まで居るつもりじゃないですよね、”お嬢様”」
これは効いたようだ。
ぴくり、と小さく耳を動かして、身を起こすと
見下ろすケルの顔を見上げ、不機嫌そうに狐の少女は睨んできた。

「エルは意地悪だわ」
「お嬢…アトナが私を困らせるならば、致し方ありません」
さすがに泣き出されると、帰らせることも難しい。
仕方なく、彼女の要望通り、ケルはアトナを呼び捨てる。

「だって、私にはエルしか話し相手が居ないんだもの」
それと夜に訪ねてくるのとは、関係が無い気もするが
ケルは、そこには触れないでおくコトにした。
「この家には他にもたくさん、言葉を話せる人は居るように思いますが」
暗にケルに帰れと言われているのに気付いてか、逆らうようにアトナはソファにしがみ付く。
それを見て一旦、ケルは向かいのソファへ腰を下ろす。
さすがに、無理やり腕に抱えて、アトナを運び出す訳にはいかない。

その様子に気を良くしたのか、寝かせた耳を立て、彼女は笑みを浮かべた。
「他の人と話したって、つまんないわ」
さて、これは手強そうだ。
ケルは額に手をやり、頭痛に悩むように考え込んだ。
正直な話、ケルには、この少女の思考回路が理解不能だった。
何をどう考えて、その結論に至るのか。
その道筋の決め方が、まったく分からない。

「あら、そんなに難しい話をしてるかしら?」
「少なくとも、私には難しい話に思えますが」
きょとん、と目を丸くするアトナに、うつむいたまま暗澹 ( あんたん ) と答えるケル。
暗い気分を追い払うべく、明りでも点けたいところだが
それで誰かに様子を見にやって来られたら、たまらない。

「エルは、私と話をするのが嫌?」
「嫌ですね」
「嘘つき」
「……」
ここぞとばかりに、迷わず即座に端的な回答をして。
怒らせて追い払うつもりだったのだが、アトナに一蹴される。
何が何でも、ココに居座るつもりらしいが、何を根拠に”嘘つき”などと。

「会って間もない使用人風情の私に、どうして ( こだわ ) る…」
一際大きなため息をつき、うつむいた顔を上げるケルを、何故かアトナは不満気に見ていた。
「どうしてそんなに、よそよそしい話しぶりをなさるのです!?」
口調が変わったところを見ると、どうやら本気で怒っているらしいのだが。
「あのー、アトナ様? 何か勘違いをしてらっしゃるようですが―――」
「―――お黙りなさい」
再び、一蹴される。

しばしの沈黙が部屋を埋め、夜風が庭の木々を揺らす。
「この家には…」
ぽつりと、少女は言葉をこぼす。
「……あなたとは、歳が近いから友達になれそうと…」
そう思っただけよ。
消え入るように、 ( ) ねた様子で呟く。
「エルだって、そう言うコト…考えるでしょう?」

―――そんな話をされても困る。
それがケルの率直な返答だった。
ただ、この少女の話に合わせた返事をするのが無難だろうか。
「そうは言っても、務め始めたばかりの新人が、そんな―――」
「―――でも、ここには誰もいないわ」

どこか勝ち誇ったように、アトナは得意気に笑って見せた。
「…そこまで言うなら、どうして歳の近い使用人を雇わないんだ?」
両の掌を見せて、降参の素振りをしながら、ケルは尋ねる。
いくぶん、砕けた物言いにしたつもりだ。
するとアトナは、耳の先から尻尾の先まで使って、全身で不満をあらわにした。

「もしまた仲の良くなった子が、自分と同じ相手を好きになってしまったら
 おまえは悩むだろうって、パパに言われてしまって…」
「それで代わりに呼んだのが、男だった、と」
呆れたような声が、 ( にじ ) まないよう気を配りつつ 納得顔で、ケルは言葉を引き取った。
そんな経緯で、自分の面倒事が増えたのかと、ケルは肩を落とす。
「私が必死に説得したのよ、ずっと楽しみにしてたんだから」
…だからと言って、つきまとわないで欲しいものだ。

「私もうすぐ、顔も知らない男と結婚して、家を出なきゃいけないの」
「その”好きな人”は?」
気のないケルの言葉に、しかし彼女は苦い顔をしてみせた。
「ん…色々家の都合があってダメだったのよ。
 ね、だから、思い出作りに協力と言うことで!」
困ったような顔をして、アトナはケルに頭を下げる。
その話が決まって以来、夜に一人で出歩いては
屋敷の者に連行される、と言う日課のようなモノが出来上がったそうなのだ。

特に反応をしたつもりはないが、アトナの中では
ケルからの了解を取ったものとして、話が進んでいるらしい。
あーあ、と足をぶらつかせて、彼女は視線を落とす。
「エルみたいな姿だったら、夜抜け出しても、きっと見つからないのになぁ」
言われた意味が呑み込めず、ケルは自分の身体を見下ろす。
「私、真っ白じゃない。だから夜でもすぐ見つかっちゃって」
そこまで言われて、ああ、とケルも理解する。
影に溶け込むような黒い毛並みであったなら、衣類に注意すれば見つかり辛いだろう。

ふと思い立って、ケルは立ち上がると部屋に明かりを灯す。
「…日の下だと、そこまで良いモノじゃないけど」
明りの中、当然ながらケルの黒はかなり目立つ。
そう苦笑して、明りを消す。
「それに夜に出歩いたって、一人でいったい何を?」

アトナは、一瞬納得しかけ、ふいにクスクスと笑いだした。
「色々あるわ」
また良く分からずに、ケルが首をひねると彼女は立ち上がった。
アトナは服のシワを伸ばし、尻尾をはたいて、伸びを一つ。

「邪魔してごめんなさい。私、もう部屋に戻るわ」
唐突にケルに一方的な宣言をすると、中庭に面する大きな窓から外へと踏み出した。
「扉からは、出ない方が良いでしょう?」
どこか晴々とした笑顔を浮かべ、白い影となって 宵闇 ( よいやみ ) へと姿を消していく。
ぽつんと、部屋に残されたケルは茫然と呟く。
「なんだったんだよ、一体…」
ケルの倒れこんだベッドが、笑うように、小さく ( きし ) んだ。


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