鏡ノ欠片

目論見

朝早くに起きると、ケルは部屋の中で手早く食事をすませる。
もちろん使用人達にも食事は振舞われるらしいが、他人との接触は控えたい。
今日は”旦那様”の部屋を任されると聞いている。
実は既に忍び込んではいたが、堂々と中を調べる良い機会だった。

書類が隠されているとすれば、真っ先に怪しむべき場所だ。
…そこに手掛かりが無かったから、困っている訳だが。
今回は、念入りに部屋に仕掛けが無いか調べる必要があった。
そんな痕跡を残さないようにしながら。

「旦那様は、今晩お帰りになる予定ですが、早めに終わらせなさい」
目当ての部屋の前まで、世話役の女に連れて来られるなり、そう言われた。
「分かりました」
外行きの笑顔を浮かべて、ケルはしっかりと返事をして見せる。
そんな様子の彼に、中年の女は口を開きかけ…結局、何も言わずに去っていく。
大方、アトナのコトだろうが、他の者もある程度の事情は知っている。
ケルに言ったところで、効果が無いのは分かっていると言ったところか。

扉を開けると、そこは客室よりもさらに大きな書斎で、向かいの壁には小さな扉。
黒光りする木の棚が、床から天井まで埋め尽くし、大小様々な本が理路整然と立ち並ぶ。
網目状の通路が走るこの部屋は、書斎と言うより本の物置。
木の葉を隠すなら森の中、とは言うがコレは本当にシンドい。

金枠で飾られた、大きめの窓は朝日に輝き
横に長い、磨かれた石のような机には、羽根ペンが置かれている。
無数のガラス玉から成る照明は、高い天井から吊られていて、さすがに台が無いと手が届かない。

取り返すべきは、本では無く、あくまで書類。
その文面には暗号化が施されているらしく、量はかなりのモノと聞いている。
二つ三つに分けているのか、まとめて保管しているのか。
写し取っている可能性はあるのか。
本当にこの部屋にあるのか。
大事なモノだが、裏をかいて…と言うコトもある。

分からないコトは、山のようにあったが
時間から考えて、写し終えている可能性は無い。
だができれば、途中の物でも発見できれば破棄するに越したことは無い。
もっとも、暗号のコピーなどと、気の遠い作業をする気があるのかは知らないが。

少なくとも、本の間に挟まれていなかったのも分かっている。
念のために、それは事前に確認しておいたのだ。
同時に軽く調べてみたが、隠し扉のようなものも見つかっていない。

ただしこちらは、あまり念入りに調べる時間が無かっただけ。
普段、誰も気づかないコトを考えると
掃除の手が入らない場所であるか、特別な動作が必要であるか。
そんなトコロか。
だが、こう言った場合、仕掛けを探すのは後回し。
どんなに精巧な仕掛けであろうと、その先の空間までは誤魔化せない。

つまり建物の構造上、不自然な”余白”を見つけられればそれで良い。
今まで見て来た他の場所には、これといって怪しい場所は無かったし
この部屋だけは、そう軽々と入れる場所では無い。
この書斎と、扉の向こうにある寝室。
そこを急いで調べ上げるのが、今日の課題だった。

…課題だったのだが。
天窓から光が差し込み始め、うっすらと舞い上がるホコリを照らし出す頃になっても、収穫はナシ。
「いっそ火事にした方が、手っ取り早い気もするな…」
ウンザリとした様子で、それでも手を動かし辺りに目を走らせて。
思わず口から出た言葉に、しかし後ろから笑い声が応えた。
それと同時に、頭の考えを吹き飛ばすような、痛みに似た感覚が背中を駆け抜ける。

ケルの振り返った先には、すっかり見慣れてきた白い狐の少女。
いくら自分が疲れているとは言え、背後の存在に気付かないとは。
「…好い加減、放して下さいよ」
ごめんなさい、と悪戯っぽく肩をすくめると、アトナはケルの尻尾を手放した。

「私もね、思うのよ」
いくぶん笑顔を曇らせて、彼女はぐるりと辺りを見回す。
「たまに帰ってくれば部屋に ( こも ) りっきり」
帰ってくる、と言うのは父親のコトだろうか。
「どうせ、そんなに使ってる訳じゃないし、無くなっちゃえば良いのにって」
そうすれば、掃除もカンタンでしょ、などと冗談を真顔で言い放つ始末。
気持ちまで理解はできないが、苦労してるらしいコトは、ケルにも分かった。

「それで、今日はどうしてココに?」
「あら、エルに会いに来たに決まってるじゃない」
何を当り前なことを、と言った風に、不思議そうな表情をするアトナ。
だがすぐにコロッと笑顔になって見せると、背中に回していた左手を前に突き出す。
「なんて言えたら良かったんだけど、実はコレが目的なの」
その手には、一冊の本が握られていた。

とりあえず、その本を手にして見てみる。
黒っぽい緑の表紙に、金文字でタイトルが書かれていた。
「…『古代史における文明スイタイとヘンセン』…?」
これが何か? とケルは少女を見つめ返す。
すると白く細い指先で、アトナはページをめくって見せる。

その内容に、しばし絶句するケル。
そこには、ひたすらに単語の名前と、その意味とが列挙されている。
「……辞典?」
訳が分からなくて、ケルはもう一度表紙を見つめる。
「どう、うまく出来てるでしょう?」
腰に手を当て、自信アリと言った様子のアトナ。

と、言うコトは…。ケルはため息交じりに、呆れを隠しもせず。
「…悪戯、ですか…」
「結構、時間かかったんだから!」
恐らく、コレが初めてでは無いだろう。
継ぎ目も見当たらず、強度に問題も無く、極めて自然だった。

―――……?
ケルの頭を、ある考えがよぎる。
「…なぁ、アトナ」
馴れ馴れしくも思える呼びかけに
彼女は嬉しそうに、軽く一度尻尾を振って先を促す。

***

「ここよ、入って」
彼女は心底、この状況を楽しんでいる様子で、自室へケルを招いた。
今まで、まったく触れなかった場所、それがアトナの部屋だった。
彼女が頻繁に、あの書斎や寝室に出入りをしているのなら。
本を持ち出しているのなら。
目当てのモノが、この部屋にあっても不思議ではない。
ケルは、そう考えていた。

幸い、掃除はだいたい終わっているし
二人が途中で出会った、通路の掃除をしていた使用人の前では
彼女が強引にケルを連れまわして見せたために、特に何を言われる訳でも無かった。

「エルは変わってるわね、こんなに小難しい本を読みたがるなんて」
白い壁に ( ) える、桃色の寝具に、白が飛び乗った。
部屋にあふれる、何かの香りを感じながらケルは笑った。
「もちろん、中にはサッパリ分からないモノも多いよ」
多いどころか、ほとんど全て、読めたものではないのだが。
ここは嘘をついておく。

床に広がった本を、ケルは適当に一冊手に取る。
「…ああ、これは意外と読めるな…」
これは本当だ。見慣れないが、読めないほどではない。
ふーん、と良く分からない返事をすると、彼女は起き上って窓際へ。
そこにある棚の引き出しを、何かを探すようにゴソゴソとあさり始めた。

あったあった、と一枚の紙を持ってくるアトナ。
「じゃあコレはどう?」
その紙は、何かの図形と、模様が描かれていた。
何処が文字で、何処が絵かも分からないようなものを、どう読めと言うのか。
だが、恐らく―――。

「今この場で、ですか?」
困った顔をするケルに、アトナは勢いよく首を横へ振る。
「これは、パパが私に出したクイズなのよ」
―――これが、目当てのものに違いない。
その予感は、確信へ変わった。


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