鏡ノ欠片

雷鳴<上>

俺は始め、隠し場所を暴くだけのつもりだった。
だが、どうやら一人で手出しを出来るような仕組みでは無いらしい。
まずあのガラス球は、フリオが入浴中ですら身につけているだろうし
侵入者対策でもされていれば、閉じ込められる恐れもあった。

それに最悪の場合を考えた時でも、この建物の構造は理想的だった。
物以外 ( ・・・ ) を隠すのにも、適していそうだったから。
だから少々予定を変更して、この場所まで付いて来た。
屋内にして人気の無いこの場所ならば、何も気兼ねは要らない。

一緒に降りて来たというのは、嘘では無い。
身を潜めるのは、かなり得意なのだ。
ゆえに付いた呼び名が、隠遁 ( ケル )
断じて、名前では無い。
他の連中の呼び名も、だいたい同じような理由だと聞いている。

それにしても、ここまでの厚さを持つ床が稼働するとは。
これでは、そうそう気付けない。
だからこそ安心していたのだろうが、その油断が間違いだったな。

***

幅広で薄い、ゆるいカーブを描く一対の黒の刃が鈍く光る。
だが次第にフリオは、恐怖を克服したらしい。
喉を一つ鳴らすと、俺を精一杯にらみつける。
「君のような子どもが――ぅぐ」
もう一振りの刃が、そっと触れただけで、その肩から赤い雫がこぼれる。
「同じコトは言わない」
暗がりで光る狐の目から、抵抗の色が消えた。

「エル、君はこれを手にしてどうするつもりだ?」
何かを諦めたのかのような、フリオの言葉。
「別にどうにも。取り返すのが仕事」
なおも自分をエルと呼ぶ、男の生真面目さを鼻で笑った。

しばしの沈黙の後、暗闇の中を慎重に動き
注意深い俺の視線を浴びながら、フリオは残りの書類を取り出した。
先ほど放り投げた書類とを併せて持つと、それをこちらへ手渡す。
俺は片方の刃をしまうと、それを片手で受け取ってフリオに声を掛けた。
「別に、あんたを傷つけるのが目的じゃない。そう怯えるな」
この状況で、はいそうですかと、くつろげるヤツは居ないだろうが。

それでも首をなんとかタテに振ると、二人は倉庫の外へ出る。
ずいぶんと上からだが、寝室の照明のおかげで、そこは状況を目で確認しやすい。
燭台 ( しょくだい ) を兼ねたレバーを元に戻すと、床が浮上を始める。
だがその途中、フリオの身体が酷く震えているのに気付いた。
いや、だんだん震えが大きくなっている。

どうせこの昇降機の上では、逃げ道は無い。
俺は、かすかに受け取った書類へ目を落とし――合点がいった。
「…なぁフリオさん」
声色に何かを感じ取ったか、彼は肩を大きく震わせた。
「書類、間違えた ( ・・・・ ) みたいだな?」
求めていた物とは、まったく違う内容の物を渡されていた。

恐らくは、暗闇の中で偽物を渡し
地上に戻ってから逃げるつもりでいたのだろう。
小さな望みに賭けたわけだ。
それを分かった上で、俺は”間違い”と言い切ってやった。
しかし、彼はうつむいたまま、答えない。

「倉庫は暗かったし…今渡してくれれば、何もしない」
音もなく床が静止するのと、フリオが懐から本物を取り出すのと、同時だった。
もう少し昇降機の速度が遅ければ、何も起きなかったかも知れない。
しかし、フリオは諦めが悪かった。

書斎の扉に手を掛け、逃げようとしたのだ。
だが残念ながら、俺の左手の方が素早く彼を捕まえていた。
「ねぇフリオさん」
俺は抑揚のない、無機質な声で呼びかけた。
「俺の知り合いには、血を見るのが大好きって奴が、確かに居る」
そのセリフに、顔と言わず腕と言わず、彼の全身が緊張で強張った。

「俺、そいつらと仲良くしたくは無いんだよ。
 だって俺は、こう言うの嫌いだからさ」
何かにすがるように、背を向けていたフリオが振り向いた。
「でも、必要なら―――分かるだろ」
そう言いながら、俺はフリオと立ち位置を入れ替えて退路を断ち、手を放す。

白い毛皮を震わせていた男は、目を閉じて自身を鎮めるように深呼吸を一つ。
ぴくりと、俺の指先が何かに反応した。
男の目が、意を決したように見開かれる。
その次の瞬間。
フリオが、それを破き捨てるより早く。
その瞳からは、意志の光が消されていた。
黒の刃が、白い毛並みを紅く染め上げる。

男の身体が崩れ落ちるより前に、その両手から書類を奪う。
少々、汚れが付いてしまったが、問題は無いだろう。
刃をしまうと、俺は暗い瞳で足元を見つめた。
「俺、あんたのコト嫌いじゃなかったのにね」
ぽつりと、呟いた言葉が虚ろに響く。
その黒狼の表情からは、何も読み取れなかった。


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