結局、想定していた”最悪の場合”になってしまったが
いまさら亡骸を地下に隠したところで、この血痕はどうにも出来ない。
もちろん、想定していた訳だから、姿を消す準備は出来ている。
数少ない持ち込んだ荷物も、しっかり携帯している。
別に大した物は無いが、身元が特定される危険は避けたい。
明りの消えた書斎を歩きだすとすぐに、反対側の扉が開いた。
ハッとして顔を上げると、そこにはアトナの姿があった。
何をしに来たのか、彼女は真っ直ぐこちらへやって来る。
まだ俺に気付いてはいないらしい。
「アトナ」
俺は彼女の後ろに回り込んで、声を掛けた。
驚いて振り向く白い影。
「またこんな時間に…怒られるよ」
その声に彼女は安心したらしい。
「夜、一人で出歩いても、あなたとなら会えるみたいね」
暗さに慣れた俺の目には、アトナが笑っているのが微かに見えた。
いつか、そんな話をしたこともあったかも知れない。
「…結果は明日話すって、約束だったろ?」
それが待ち切れずにやって来たのだと、そう思っていた。
だが、違った。
「私、やっぱりパパに本当の話がしたくて」
申し訳なさそうにして、顔を曇らせる。
「さっき、パパが私の部屋に来たの。…様子が変だったわ」
自分の顔が、かすかに歪んだのが分かった。
ずっと、この少女は目を覚ましていたのだ。
あまりの不安に負けて、ここまで来たに違いない。
「…具合が悪いって言ってたし、明日にしなよ」
そう言ってから、自分の失敗に気付いた。
寝室の明りが、微かに灯っている。
彼女もそれに気付いたのだろう。
「でもまだ明りが点いてるし…エル、あなたにも来て欲しいわ」
背中を、何かが伝う感覚。
これは良くない、良くない展開だった。
何か言うたびに、彼女の決意が固まっていくようにも思えた。
事実、言葉を連ねるたびに、声は緊張の色を濃くしていく。
「私があなたに、変な相談をしてしまったから…それが間違いだったんだわ。
子どもの遊びのつもりだったけど、きっと…きっと…っ」
背を向け駆けだそうとする白い影を、素早く詰め寄って捕まえた。
それが、間違った選択肢だと言うことくらい、分かっていた。
「放して、放してちょうだい、エル!」
無言で拘束されることに、アトナは暴れて抵抗した。
「あなたに迷惑を掛けたのは、悪かったわ。
でも今は、あの紙切れよりもパパが心配なの!」
白い身体をよじって、戒めを振り解くと書斎へと駆けこんで行く。
それをただ、俺は黙って見ていた。
これから起きるコトを思うと、気が滅入る。
いや、起きると言うよりは、むしろ―――
「…お父様っ!?」
小さく、しかし確かに、悲鳴が耳に飛び込む。
それを聞きながら、両の手を、ぐっと握る。
それでも、指の感覚は無かった。
しゃがみ込んで、アトナは必死に呼びかける。
紅い毛皮をまとう、父親を揺すりながら。
「いったい誰が…お父様…誰かっ」
すっかり混乱しきっていたアトナが、ハッと振り返る。
「エル、お医者様を、お医者様を呼んで、このままじゃ…」
感覚の無かったはずの、両腕。
捕まれた手首が、なぜか痛んだ。
俺は静かに、首を振った。
「いいえ、まだ間に合うわ、間に合うはずよ!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ彼女の目から、何かがこぼれた。
「さっきまで、元気だったもの!
頭を撫でてくれたもの、さっきまで……」
言葉は
たとえ目をそらすだけだと、分かっていても。
こんな光景を、見るんじゃなかった。
声など掛けずに、あのまま立ち去れば良かったのだ。
なぜ呼び止めたのかは、自分にも分からない。
…今からでも、遅くないだろうか。
ここに留まるべきだと言う、訳の分からぬ義務感と
もう用は無いのだからと、逃げ出したい無責任さと。
その二つの間で迷っていると、ふいに少女が自分を見上げているのに気づく。
「エルは、ずいぶん落ち着いてるのね…」
その眼からは、確信めいた何かが伝わって来た。
さすがにもう、気付いたのだろう。
「腰に下げている袋は……何?」
答えずに沈黙を決め込むが、それは逆に肯定したも同然だった。
アトナは血で汚れた手で俺につかみ掛かる。
「名前、本当はなんて言うの」
「…ケルって呼ばれてる」
どこかボンヤリとしながら、俺は人形のように答える。
どうしても、身体が動かなかった。
「みんな、嘘だったのね?」
「…どうかな」
眼は、合わせない。
「…そんなの…ずるい」
視界の隅でアトナの顔から、また何かが落ちていった。
「私は、あなたがやったなんて、知りたくなかった!」
叫ぶ彼女、何度目か分からない沈黙。
それを破るように、闇を切り裂いて閃光が部屋を照らす。
いつの間にか、雨風だけでなく、雷を伴う荒れ模様になっていた。
やはり立ち尽くすだけの俺に、何か気付いたのか
アトナは何かを奪い取った―――血で汚れた、暗号書だ。
眠りから覚めたように、反射的に身体が動く。
「返せ!」
しかし、その手は空を切る。
「取り返したいなら、その剣で私も斬れば良いのよ」
「何を……」
言葉とは裏腹に、彼女に動揺している様子は無い。
「私、本気だから」
言い終わるや否や、脅しもせず、タメも無く。
乾いた音を立てて、その一枚を、いとも容易く破り捨てる。
「私が”ケル”に出来る復讐は、これだけだもの」
言いながら、また一枚。
俺の奥歯が、ぎしり、と嫌な音を立てた。
「やめろ!」
しかし彼女は手を止めず、びりっと、また一枚。
「私がいけないんだもの、こんなものを私があなたに…」
気が付けば。
俺の手は固い何かを握っていて。
まばゆい閃光が、すべてを白く染め上げていて。
白の中を、白い少女の影が、自分の腕の先で揺れている。
遅れて轟く、稲妻の咆哮。
少女の身体が、床に落ちた。
その身体から、ずるりと何かが抜ける感触。
暗がりの中、黒々としたものに覆われていくアトナの姿は
闇に溶け込んで行くようにも見えた。
―――自分は今、何をしたのだろう。
自覚もなく刃を突き刺したのだと気付いて、その場に力なく
その時、何かが聞こえた気がして、耳を澄ました。
音の主は、アトナだった。
その顔に横目で視線を送る。
焦点を定めぬまま、うっすらと彼女は笑顔を浮かべた。
「――ずっと”エル”のままなら…良かったのにね」
何かを求めるように伸ばされた白い腕は、しかし、空をかいて地に落ちた。
ぎゅっ…
誰かに胸周りを締め付けられるような感覚に、俺はとっさに後ろを振り向く。
だが後ろにはただ、暗闇が広がるばかり。
―――雷鳴が、轟く。
まざまざと部屋の惨状が浮かび上がり。
照らし出された世界の中、少女の笑顔に、視線が止まる。
初めての感覚に、俺は戸惑う。
鳩尾の辺りに思わず手をやるが、出血はしていない。
それでも刺すように、圧迫するように、鋭い痛みは酷くなる一方で。
―――刺すような?
「ぅぐっ…」
そう考えた途端、息が詰まる。
こんなの、今までと違う。
今までは、さっきだって、平気だったのに。
―――雷鳴が、轟く。
脳裏に浮かぶ表情と、よみがえる声。
瞬間、目の前を不可解な光が明滅し、激しく頭が痛みだす。
頭の内側から何かが突き破ってきそうな、声も上げられない痛み。
”発作”を止めるべく、瓶から取り出した薬を飲み込んで。
だがすぐに、すべて床に吐き出してしまう。
地につく手足に感覚は無いのに、胸だけが酷く痛んだ。
腕で体を支えるコトも出来なくなり、少女の横に身を横たえる。
その濃い血のにおいを嗅ぎとってしまい、再び酷い吐き気に襲われた。
もう何も出はしないが、それでも吐いた。
広がる血だまりに
部屋の外が騒々しくなるまで、そこで震えていたのは覚えている。
でも、それから先は、どうしても思い出せなかった。
雷に怯えるようにしていた事、それ以外は。
1.邂逅 −Fin−
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〜あとがき〜邂逅:思いがけず何かと出会うこと。
主人公が色々なモノに出会うので、このタイトルにしました。
主人公含め、登場人物の容姿の描写は『邂逅』では最低限にとどめました。
こう、淡々と夜道を歩く感じにしたかったので。
もっと別の、やむにやまれぬ事情もありますが!(ぇ
最後は予想以上の長さになったために、上下に分割。
上−下と言うよりかは、上−中下でしょうか…これ以上は削れませんでした。
クイズのくだりは、勢い任せで書いた割に、問題が無かったと言う…。
暗い話が嫌いな方には、申し訳ないです。
読切がギャグ路線なので、これで均衡が図れるかな、などと。
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