鏡ノ欠片

記憶

ケルは、自身の限界を感じていた。
もう自分は指一本動かせないし、何かを喋る気力もない。
目を開いているのも辛いし、まともに何かを考えるのも難しい。
そう思っていた。

ザクッ
「―――!?」

不意に襲いかかる、これまでと異なる痛みに驚き、ケルの身体が跳ねる。
何かで左肩を切り裂かれたのだと実感して、思わず顔を歪める。
その余韻も引かぬ内に、同じ場所を再び傷つけられる。
「ぁぐっ」
これにはさすがに、かすれた悲鳴が上がった。

「おー、何だよ、まだ声出るんじゃねーか」
ケルの上にまたがり、体重を掛けて拘束しながら
鱗だらけの手で、嬉々としてケルを痛めつける。

このままエスカレートしていけば、自分は確実に殺される。
いや…ここのところ、ケルは食事も満足に ( ) っていないのだ。
あれだけの発作で疲労した身体が、血を流している。
となると、既に十分すぎるほどに危険なのかもしれない。
―――そう言えば、以前どこかで同じ思いをした気がする。
身動きが出来ない不自由さか、この仕打ちそのものかは分からないが。

ぼんやりと、そう考えていると
次第に感覚が鈍化していったのか、痛みを感じなくなった。
それが面白くなかったと見えて、上から声が降って来る。
「……オマエってさ、考えたコトあるのかな」
言葉に悪意の響きを潜ませて、男は目を細める。
聞くべき言葉では無いだろうが、腕が動かないのでは耳はふさげない。

「自分が誰かを斬ったら、それを相手がどう感じるか、とか?」
軽い調子のセリフに、ケルの目が見開かれた。

記憶がめまぐるしく、ケルの頭に沸き上がっては消えていく。
腹を貫かれて揺れる少女。胸を一文字に斬られた父親。
頭から血を流す新入りの使用人。首の折れた宝物庫の警備員。
途端に、全身の痛みがぶり返す。
「オマエにはこっちの方が効く ( ・・・・・・・・ ) らしいなぁ」
愉快で仕方ないと笑う男の言葉は、狂ったように喚き叫んで暴れるケルには届かない。

「何をしてる!?」
爆発した感情の悲鳴も、歪んだ ( こう ) 笑も掻き消して。
開け放たれた扉の前に立って、それは非難の声を上げた。
未だにケルは身をよじって暴れていたが、男はピタリと笑い止んで振り返った。

「今すぐケルを放せ、カッジェ!」
その声には紛れもない、怒りの色。
だが動じた様子もなく、カッジェと呼ばれた男は顔の鱗を撫でているだけ。
「なんだよ、オマエも一緒に俺様と―――」
「―――二度は言わんぞ」
言葉をさえぎり、影は全身を殺気立たせていた。

今度ばかりは、軽口を返さずにカッジェは立ち上がる。
互いの視線がぶつかり、絡み合う。
だが二人の間で高まった緊張は、すぐに弾けて消えた。
「ケル!?」

悲鳴を上げる影の目に映ったのは、身体を引きつらせて震えるケルの姿。
注意のそれたそのスキに、カッジェは影の横をすり抜け外へ。
その後を追って怒りをぶつけるよりも、ケルの介抱を優先したのか
その人物は、ケルに駆け寄り抱き起こす。

男顔負けの気迫を放っていたのは、金に輝く毛皮を持つ獅子の女だった。
その腕の中でかすかに息をする胸元以外、ぐったりと、黒い狼はピクリともしない。
すぐさまケルを寝かせると、女は急ぎ部屋を後にする。

ケルが目を覚ましたのは、それからずいぶん経ってからだった。
混乱しているのか、記憶のピースが散らばっていて、何がどうなったのかが思い出せない。
少なくとも、ロクでもない身内に、散々痛めつけられたコトは覚えているのだが。
自分の状況を確認してみると、ケルは身体の所々に包帯を巻かれ、仰向けに寝かされていた。
辺りに人の気配は無い。

カチャ…
控え目な音を立てて、戸が開く。
怪我人である自分に気を遣っているだろうコトは、すぐに分かった。
ケルには、それが誰であるかも。
「いつ、帰って来た?」
そう聞いたつもりだったが、ノドが腫れ上がっているのか、咳き込んだだけだった。
それに気付くと、かすかな光の中で、その身体を金に輝かせて女が近寄った。

「包帯の補充に行ってて…一人にして、悪かったね」
そう言いながらも手際よく手は動き、残りの傷を手当てしていく。
「…とんでもない再会の仕方、したもんだよね」
困ったように笑う彼女に、声の出ないケルは、仕方なく首を縦に振った。
「何も聞かないからさ、これ飲んで、寝ちゃいなよ」
水差しからゆっくりと。
程よい冷たさの、薬か水か、それが枯れたノドに心地良い。

顔から離れていく彼女の手を、ケルの右手がつかむ。
―――あたたかい。
「どうした?」
問う声に、なんでもない、と首を横に振る。

また胸の辺りが痛んだ気がしたが、今度のは少し違った。
ノドの奥の方から、何かが突き上げるような。
そんなコトも初めてだったから、それが何かも分からない。
今度、聞いてみるとしよう。
ハッキリとしない頭の片隅で、そんなコトを思いながらケルは眠りに落ちていく。


≪Prev. / Next≫