「いつ、帰って来た?」
次の日の昼ごろになって目の覚めたケルは、身体を横たえたままでそう訪ねた。
まだ起き上るのは、少々つらい。
横に寝そべる女の通り名は、豊穣のプルー。
この場所に、最も長く居ると噂される人物。
あまり会話を好まないケルが唯一、まともに口を利く相手。
名前に反して、時々男と話しているような錯覚をさせる女だが
それを一度口にした時、ずいぶんと痛い目を見たので以後気を付けていた。
「昨日だよ、1年ぶりかね、ココもさ」
プルーはケルの額に手を当て、様子を見ながら深く息を吐いた。
「まさか、帰って来るなりあんなモノを見るなんて、思ってなかったけど。
って、何笑ってんの、他人事じゃないだろうに…」
「いや、俺もあんな目に遭うなんて、思わなかったから」
そう言ってケルは、肩をすくめた。
「カッジェに、何かやらかした訳じゃないんだろう?」
その名に、ケルは顔をしかめた。
子どもは時に残酷だ。
そのまま大人になるコトは無いが、きっと例外があの男なのだろう。
「あんな奴に、関わりたい訳ないだろ」
ケガの跡をさすって不機嫌をあらわにすると、そりゃそうだと苦笑される。
「あいつが俺の発作見て、一人で勝手に盛り上がって、それで襲ってきやがったんだよ」
「そりゃ災難だね…でも薬はどうしたのさ、まさか失くしたとか」
どの道、この金の獅子には全て話すつもりでいた。
屋敷での一件も、閉じこもっていたコトも。
罰としてなのか、薬をすり替えられていたコトも。
ケルの話はそこに留まらず、断片を拾い上げるように、それよりも前の出来事も語っていく。
プルーは、隣で静かに頷くだけ。
「そっか、さすがに色々あった訳だ」
話し終えたケルに、彼女は小瓶を差し出す。
「これ、受け取って」
それは、いつもケルが受け取っていたのと同じ小瓶。
中には、粉が入っているが…。
「俺の薬…どうして?」
「こんな日が来ると思ってね、昨日もらって来たの。
さすがに一年ぶりだからね、ワガママを言ってみたってワケ」
プルーは悪戯っぽく笑って、それは本物のハズだ、と請け合う。
”こんな日”がその時既に来ていたのだから、笑えない。
昔からこの女は、手抜かりがないのだ。
「ケルは案外まともな奴だからね、いつか怒らせるのは分かってたの」
「まともって…どこが?」
いくぶん乾いた笑いが、口から漏れた。
「…じゃあ、カッジェとかグラールと一緒が良い?」
言われて思わず口ごもる。
あんな猟奇的な変人と同じには、なりたくない。
「…今の話聞いたら、少し後悔もしてるんだけどね」
「後悔? 何を?」
今の話のいったい何処に、他の誰かが悔いる部分があっただろうか。
ケルには分からない。
「もう少し早く帰って来てれば、話し相手にもなれたし
初めっから、そんな思いさせないで済んだかもしれないし…」
なんだ、そんなコトか。
プルーが居なくなってから、確かに色々大変にはなったが。
「プルーはどうなるんだよ」
「ん……私は、仕事のコトは何も覚えてないからね」
それは何か違う気がしたが、そんなのは本人が一番気にしてるだろう。
そう思って、初めて聞く話だったが何も言わなかった。
「ケルは、前みたいに出来そう?」
彼女はその青い瞳に不思議な光を宿して、ケルの顔を覗き込む。
その顔を見つめ返せずに、ケルの琥珀の瞳が揺れる。
「自信、ない」
そう言ってみたものの。
戻ろうとする気も起きない自分が居るのに、ケルは気付いていた。
この変化が、良いか悪いかは別にして。
ここで暮らす以上、その気持ちは邪魔になる。
「じゃあ、とりあえず、さ」
しばしの沈黙の後、プルーはケルに笑いかけた。
ケルは目で先を促す。
「ケガの手当て、しよっか」
「……もう痛いのは、嫌なんだけど」
がっくりと、うなだれるケルの抗議は、すっぱりと無視された。
傷口の治り具合を見て、所々薬を塗って、包帯を変えて。
応急処置なんてモノでは無い、プルーの慣れた手つきには理由があった。
始めの頃は、医者が居なかったと聞いている。
新人の負ったケガを治すのが、彼女の役割だったのだ。
医者が見つかった最近は、出番も減ってきてはいたが
プルーは医者が苦手らしく、自分のケガはいつも自分で看ていたし
ケルもケガを放っておくクセがあったので、彼女が面倒を見ていた。
二人が交わした最初の会話は、
「痛い」
「動くな」
とまぁ、会話と呼べるか分からないモノだったのを、ケルは覚えている。
「なぁプルー…」
手を止めずに、彼女は返事を一つ。
ケルは恐る恐る、聞いてみるコトにした。
「胸の辺りも、傷、ある?」
「いや、キレイなものだけど…?」
少し念入りに調べながら、プルーは首をかしげた。
「最近、変に痛むから…何もないなら、良いんだ」
「…外傷でないと、力になれそうもないね」
プルーは顔を曇らせるが、念のためだと、いくつか質問を投げかけた。
どんな痛みだとか、頻繁に起きるのかとか、いつからだとか。
「最初は…」
ケルは言いかけて、しばし言葉を詰まらせる。
「…屋敷の中」
一瞬、眉間にしわを寄せて考えていたが、すぐに彼女はその意味を察した。
それから笑って見せたが、どこか呆れてるようにも見えるし、寂しそうにも見えた。
「そりゃぁ、ケガじゃないから心配要らないよ。
いや、逆に心配した方が良いのかな」
「…どっち?」
スッキリとしない回答に、ケルは唸った。
「もっと複雑なんだろうけど、悲しいんだよ…簡単に言っちゃうとさ」
「なに、それ」
プルーの首が、がくんと落ちた。
こんなやり取りが、どこかであった気がする。
「今のケルみたいな気持ちのコト」
「へぇ…」
どこか釈然としないまま、ケルはうなずいた。
「じゃあ、どうして気持ち一つで、身体が痛むか分かる?」
その問いに答えるのは、思いの外に難しくてプルーは渋い顔をした。
「…どうしてケルはそんなに、色んな物事が抜けてるんだろうねぇ」
単純に、本当に純粋にそう思っただけなのだが
プルーの言葉がショックだったようで、ケルは酷く落ち込んでしまった。
それを見ると金の顔に焦りを浮かべながら、彼女は慌てて言葉を付け足した。
この時、ケルが再び胸に小さな痛みを感じ
―――ああ、これが悲しいってコトなのかな…
などと頭の片隅で理解したことは、彼女が知る
「あ、いや、別に責めてるんじゃないよ。
分からないモノに興味を持つのって、大事だって聞いたことあるしさ」
なんとか励ましたつもりだったが、ケルは力無く一言を返すだけ。
しばらく、ノドの奥で唸って考えた末に、プルーは一つ結論を出した。
「心ってヤツが、ココにあるから…って言ったら納得する?」
そう言いながら、ケルの胸を指さす。
「どんな形の内臓?」
自信たっぷりの答えを、すかさず切り返されて。
「え? いや、目には見えないだろうし、んー……」
プルーは再び沈黙した。
そんな姿をしばし見つめて、ケルは一言。
「冗談だよ」
目を丸くして呆気にとられる金獅子、笑う黒狼。
つられて彼女も笑いだしたが、その右の拳がケルの頭に落ちたのだった。