あれから、しばらく経った。
プルーがもらって来たケルの薬は本物だったようで、いつも通り良く効いた。
ケルの身体の調子は元通り、心って奴の整理も、だいたい終わった。
見えないものを整理する方法なんて知らないが、プルーがそう言ったのだから、それで良い。
先輩の知識は、素直に覚えておいた方が良い場合が多いと知っている。
病み上がりと言うコトもあって、しばらくは小さな仕事だった。
在庫が底をつく前に、薬草の補充をするとか
売るための情報を集める、とか。
別にいつも、汚れ役をやっている訳ではない。
普通の仕事だってする。
いや、もしかしたら普通じゃないのかもしれないが。
ただ今回、ケルの任された内容は、完璧に黒い仕事。
狙うのは、猫族の男。
右耳に深い傷を負っていると言う、なんとも分かりやすい特徴付き。
それが示す通り、武術を学んでいたらしいので、その点は要注意。
今は大人しいが、昔はずいぶんと無茶をしていたらしく、この近辺では有名人。
現在、護身術の師範を務めている―――それが、相手の主な情報。
性格やら好物やら、年齢などの情報は、必要が無ければ知らされないし
どうして命を狙うのかなどと言うコトも、もちろん知らされない。
だからその男は極悪人の可能性もあるし、考えられないほどの善人の場合もあるだろう。
さらに言うなら、直接の恨みも持たない自分のようなヤツが
こんな真似をするコト自体、おかしな話ではあるのだが。
考えれば考えるほど、卑怯な話だった。
自分は何もせず、人任せで邪魔者を消そうと考える依頼人も。
薬のためと言いながら、嫌だと思いながらも、結局実行するケル自身も。
だがどちらにせよ、自分のすべき内容に変更は無い。
―――仕方ないじゃないか
そんな風に思うようになったのは、いつからか。
ここは大きな街の、その外れ…郊外と呼べなくもない。
だが町の明りが届き切らず、夜の闇が色濃く残る場所。
商店街を貫くその道の先、広場から枝別れをする道の一つ。
それらが、町の隅へと延びている。
ケルは今、その細い道の横手にある、樹の群れの中に居た。
頑丈に育った大きな樹に登り、幹に背を預け、枝に足を乗せ
葉と葉の間、その隙間から足元の道を眺めて、虫の鳴き声に耳を澄ませていた。
どこかで野鳥も鳴いているのだろうか。
ケルは獰猛な気配を隠して、夜の街並みと同化していた。
―――来た。
ケルは、夜目が利く。
その気になれば、この暗闇の中でも相手の姿を十分に把握できる。
…断っておくと、もちろん昼間よりは見辛い。
ヒト違いと言うコトは無い――ならば仕掛けるか。
ケルの足元を行きすぎ、男は背中を向けた。
可能ならば、最初の一撃で仕留める。
黒い指の間に握られているのは、複数の黒い投げ短刀。
得物の双剣と同じく、光の反射量を抑える加工を施してある。
投げる以上は、無音で目標へ突き刺さるようにも出来ているし
より素早く飛ぶように、狙いが狂わないように、自力で引き抜き難いように。
小さな刃にこれでもかと技巧をこらし、作り上げられたのがこの道具。
これならば、手に”感触”は残らない。
卑怯でも何でも良い、自分には選択肢が無い。
覚悟を決めて、意識を研ぎ澄まして狙いを定め―――投げ放つ。
ケルは同時に葉を掻き分け、枝から跳躍し男を飛び越え…しかし音もなく着地する。
驚いたコトに、短刀は叩き落とされ、あるいは空を切って道に突き刺さり。
何を察してか、男は振り向きざまに的確な対処で身を護った。
だがそんなコトは気にしない。
まるで最初から大地を駆けていたかのように、ケルは目標へと距離を詰める。
道具と同様に、ケルも無音で闇に溶け駆ける。
この目と、足腰の強さとが、ケルの武器だった。
少しばかり、”自分の努力”では無い部分もあるが。
その手に漆黒の刃は握られていない。
相手の背中をとっているとはいえ、
一撃を与えるその寸前まで、こちらの手を見せたくは無かった。
キンッ
―――!?
夜の冷えた空気に、甲高い音が響き渡る。
ケルの琥珀の瞳が、かすかに動揺の色を浮かべた。
短刀を投げ放ち、挟み討つように反対側に回り込んでの一撃。
その全てが、かすり傷も与えられないとなると。
相手の男からは、不意に襲われることへの驚きも
狙われていることへの恐れも、感じられない。
護身術を指導する立場であるとは聞いているが
いざ”本番”になっても、慌てないのを見る限り
場馴れしているであろうコトが、容易に想像できた。
いま男の手にしている武器は、一振りの白い両刃剣。
その剣で、ケルの一刀を受け止めていた。
他に武器を隠し持っている可能性に警戒しつつ、ケルはさらに一歩踏み込んで
もう一振りの刃で、脇腹を狙い切り上げる。
さすがに二刀であるコトには気付くのが遅れたか、かわし損ねた男の腕から血が滴った。
その一瞬を逃さず、ケルは男に張り付くようにして手数で攻め立てる。
素早くも正確な動きの繰り返しは、ケルの最も得意とするところ。
双剣と言う武器の選択は、最良とも言える。
だがそれでも、いくら攻めても一撃を与えられず、相手を崩せず。
こちらが二刀と認識した男の対処に、ケルは感心していた。
双剣よりもリーチの少しばかり長い剣を、器用に操るコトで
黒の猛攻を弾き、流し、あるいは身体ごとかわし。
時に二つの刃を同時に剣で受け、見事なまでに男は防戦しているのだ。
―――そう、なぜか防戦一方
男に反撃のスキを与えようとは思わないが、そんな素振りすら見せてこない。
どこか余裕すら感じるその動きで、なぜ攻めに転じないのか。
それがケルには疑問だった――何か考えでもあるのか?
確実に一撃で息の根を止められる、そんな機会をうかがっている…とか。
ケルは次の一撃もいなされ、その身体が流れた…ように見えた瞬間。
勢いをそのままに、ケルは男の視界から消え失せてみせた。
闇に紛れる風と化して、ケルは音もなく男の背後に回り込む。
男が振り向いた瞬間をねらって、
ケルの左の手が、前に突き出された右腕を素早く滑る。
その右腕から、男の顔面に向かって何かが飛び出した。
それは至近距離から投げ放たれた、隠し武器。
避けられないならば、それで良し。
避けられるとしても、剣による防御は間に合わない。
となれば。
男は、反射的に姿勢を崩すしかない。
そこを狙い手傷を負わせ、武装を解除し行動不能にする。
そのハズだった。
ざくりと、何かが肉に刺さる嫌な音。
男の歯の間からもれる苦痛の声。
空いている方の腕で、男は投げ短刀を受け止めたのだ。
―――刃に毒が塗ってあったらどうするつもりだ…
目の前の予想外の事態に、ケルはほんの一瞬だけ、注意をそちらに向けてしまう。
ケルの意識がそれた一瞬も味方して、男は双剣の斬撃を防ぎきる。
男は後ろに一つ、大きく跳ぶと、ケルに再び距離を詰められるのを嫌ってか
腕から短刀を抜き取り、牽制として放った。
扱いが難しいハズの、特殊な短刀を正確に投げつけられ、仕方なくケルは距離をとる。
恐らく、前腕程度では、あまり深く刺さらなかったのだろう。
「中々やるじゃないか」
どうやら、話し掛けるために距離をとっただけらしい。
男はヒゲの一本を指先でいじりながら、ケルに笑いかけた。
どこか面白がっている、そんな様子だった。
このまま問答無用で、斬りかかると言うのもアリだが…。
「どうして、仕掛けてこない?」
虎