鏡ノ欠片

ボサ介

吐き気がする。気持ち悪い。
どこか遠くで、耳障りな声がしていた。
それは頭にしみ込んで行くと、次第に意味を持ち始める。

「ねぇ、結局、どっちの隠し子なの?」
「おまえの頭は、そればっかりか」
「自分だって気になってるクセに」
「ばか、声がでけぇよ、静かに見てろって言われたろ!」
「本当に、兄弟じゃないの?」
「全然似てないだろうが!」
……かなり、うるさい。

目を開けると、知らない部屋の天井が見えた。
―――夢、か…
いつかの夢の続きだったような気もするが、嫌な後味以外は何も覚えていない。
なぜか二つの声のやり取りは、口喧嘩にまで発展したらしい。
顔を右に向けて、話を切り出す機会をうかがってみたがムダだった。

ケルをここへ連れて来た、あの猫族の男は居ないらしい。
代わりに居るのは、黒の斑模様が山吹色を際立たせている豹族の男。
顔を赤く染めている辺り、口が弱いのか頭に血が上り易いのか。
対するのは、黒の虎縞をした白い猫族の少女。
容姿と今の状況から察するに、恐らくはあの男の娘か。

背負われた時点で分かってはいたが、自分は本当に助けられたらしい。
ケルは改めてそう実感して、自分の左側に広がる窓の外の景色へ目を向けた。
正直、後ろの二人の口論は聞くに堪えないので、耳は寝かせて無視を決め込む。
ここは二階にあるようで、黒々とした木々が、夜風に揺れていた。
外は、あれから一層暗さを増した気がする。
と言うコトは、そろそろ夜明けなのだろうか。

「…あんた達…」
第三の声は、騒々しい声と声の応酬をすり抜けて。
どう言う訳か、大声だった訳でもないその声は、部屋に沈黙をもたらした。
「今すぐ部屋に戻りなさい」
有無を言わさぬ圧力に、しかし少女は屈さずに
「えー…」などと不満たらたらだが。
ずるずると、誰かに引きずられて行くのが音で分かった。

ばたん。扉の閉まる音。
「悪かったわね、うるさかったでしょう?」
どうやら、もうケルが起きているのは分かっているらしい。
ケルは無言で、そちらに顔を向ける。

そこには、全身真っ白な猫族の女の姿。
虎縞が無いが、きっとあの少女の母親だろう。
青いその瞳は、どこか人の良さを感じる。
―――プルーと同じだ。
そう気付くと、どこかホッとした。

「街で喧嘩していたんですって?」
話が見えずに、ケルは怪訝そうな目で問い返す。
「あら違った? 仲裁に入った夫も、少しケガをしていたみたいだけれど」
どこか面白そうに笑うと、返事を待たずに付け足した。
「まだ名乗って無かったわね、私はベスティ」
あなたは?と促されているのは分かったが、どうしたものか。

「今は…言いたくない」
ベスティは静かに笑うと、手にしていた木網のバスケットから陶器の壺や瓶を取り出していく。
次いで包帯を出したのを見て、傷口を手当てするつもりなのだろうと察した。
「さっき少しだけ看たけど、骨にヒビが入ってるわね」

医者と言うのは、誰も彼も同じらしく
呻こうが叫ぼうが、問答無用で治療をしていくものらしい。
手早く済ませてくれたおかげで、長々と辛い思いをしないで済んだが。
「…さて、一段落ついたわね」
ケルの頭をポンと叩いて、扉へ歩んで行く。
…木の床が、その足に悲鳴を上げているような気がするのは、ケルの錯覚だろうか。

がちゃり、と扉が開けば。
好奇心を隠そうともせず、顔を輝かせたまま凍りつく少女と
その腕を引っ張るようにしたまま、やはり固まる男。
「部屋に居るように、言わなかったかしら?」
声はずいぶんと穏やかなモノだったが、対する二人の顔が引きつったのを見れば
彼女の背中しか見えないケルにでも、その表情は想像できた。
「ごめんなさい…」
「オレ、悪くないのに…」
しょぼくれる二人に背を向けて、ベスティはケルに首をかしげた。
「…入れてやって下さい」
ケルは苦笑して、そう呟いた。

看病の礼もあったのだが…それでもケルは
先ほどの自分の発言を、すぐに後悔するハメになった。
なぜなら。
「あたしルジュ、よろしくね。
 で、こっちの黒ブチの怒りっぽいのがレイジ。
 それであんた、なんてゆーの? どっから来たの?
 喧嘩ってホント? なんで?」
…この白猫の少女、非常によく喋る。
今の矢継ぎ早の質問を一息で言ってのけて、今も横で「なんで」を連呼している。

”黒ブチ”で紹介を終了されたレイジは、額に青筋を浮かべており
少女の母親は、ため息をついてデコピンを一発。
「…落ち着きなさい」
そこでようやっと、ルジュの口は閉ざされた。
今度ばかりは、つまらないワガママで追い出されたくは無いらしい。

「それで、おまえの名前は?」
今更、改めて名乗る気にもなれなかったのか、レイジが聞いた。
未だ怒り冷めずといった様子だったが、残念ながらルジュには伝わっていそうにない。
「…知らない」
ケルは、困ったように一言を返すしかできなかった。
は?と眉間にシワを寄せるレイジと、うずうずと母の腕の中で何か葛藤をしているルジュ。
「…ケルって呼ばれてはいたけど」
念のため、そう付け足しておく。

紛れるもの ( ケル ) ? うぁー暗い名前…」
思わず口走った言葉を見 ( とが ) められて、ルジュの頭に拳が一つ落とされた。
「…だから、好きに呼べば良い」
どうせ、ケガが治るまでか、治療の礼をするまでか。
それまでの付き合いだろうし、とケルは考えていた。

でも”仕事”を失敗して、また戻れるのだろうか?
また何か罰を受けるコトは、まず間違いないし
もしかしたら、今度は薬と毒をすり替えられるかも知れない。
いや、明日にでもカッジェ辺りが、自分の元を訪れるような気さえしてくる。

―――これから、どうしようか
疲れ切った頭で、途方に暮れていると。
「じゃーねぇ…影色ボサ介二号!」
……。
声高々に叫ばれた内容が理解できず、ケルはただ、ルジュを見つめるだけ。
「今日からあんた、影色ボサ介二号ね!」
「……なんで?」
唖然としながらも、思わず聞き返す。
冗談のような様子もなく、むしろ真剣そのものという表情で
目の前の少女は、自信たっぷりに胸を張ったまま。
「黒い毛がボサボサしてるから!」
名前の由来を聞かれたとでも、勘違いしたのだろうか。
いや、確かに好きに呼べとは言ったが。
それにしても、あんまりな理由と名前だった。

「なんで二号なの?」
興味深げに娘に問うのは、白猫のベスティ。
「二号なら、二人居るみたいに聞こえるし」
何かツッコんで欲しいケルの期待をよそに、納得顔の母。
その眼は、すっかり娘に感心しているようにしか見えない。
それを声も無く見つめるケルに、レイジは哀れみの視線を注ぎ。
「…悪いけど、こう言う親子なんだ」
「へぇ…」
他に答えようがなかった。


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