ある日の昼。
「おまえってさぁ、ホント不思議なヤツだよな」
寝台に横になるケルの身体をまじまじと眺めて、レイジは首ひねった。
「普通、鎖骨はこんなすぐ治んないって」
一月か二月掛かるだろうケルの負ったケガは、数日の間に治ろうとしていた。
あれからケルは、いつもの食事を口にしていない。
口に出来なくなったと言う方が、正しいか。
今では他の二人と同じように食事をするし、痛みも引いたおかげで普通に歩けるようにもなった。
軽くだが、湯も浴びられるようにもなったし、衣類が問題だったがレイジの物を借りている。
この場所はとにかく平和だった。
少し前の自分の生活が嘘のようだったが、それでも時々思い出す。
そう言った時は決まって、迷ってしまう。
ここに居てはいけないと感じる気持ちと、戻りたくないと言う思いが渦巻くが
その問題を考えてしまうたび、務めて忘れるようにしていた。
ココに居れば、嫌な奴の顔を見ないで済む。
薄暗い部屋で、一人で居るコトもない。
…ただ、プルーのことが気掛かりだったのと
素性を隠しているのが、なぜか少々後ろめたい。
「なぁ、聞いても良いかな」
レイジが、切り出し難そうにケルに問いかける。
ケルが先を促すと、彼はケルの横に腰をおろし、ケルの顔を覗き込んだ。
「…おまえ、親居ないの?」
重々しい調子の言葉に、ケルはあっさりと首を縦に振る。
それを見て、釈然としない様子でレイジは黙りこむ。
その沈黙を、ケルが破った。
「なんで、そんなコト聞く?」
「おまえ、ケガが治ったのに帰るって言わねぇしさ」
レイジは仰向けに倒れて、布団の上へ。
顔をしかめたかと思うと、押し潰してしまった尻尾を足の間から出して救出する。
「自分の歳もハッキリと分からないみたいだったし、それでなんとなく」
そのセリフが何処か寂しそうで、ケルは言葉を重ねた。
「レイジも、親居ないのか」
彼は力なく頷いて、ここの養子になったと説明した。
ケルがあいまいに頷くので、レイジは笑いながら説明しなおす。
「要するに、この家の家族に加えてもらたってコト」
ああ、とケルも納得する。
要は、ケル達がいた”あの場所”と同じような物なのだろう。
雰囲気はまったく別物だけれど。
「…実はオレ、ここに来て1年位しか経ってなくてさ。
おまえのコトが、ちょっと羨ましいワケ。
まぁ、おまえのコト気に入っちゃったし、良いんだけど」
そう言われても、やはりケルにはよく分からない。
だがこればかりは、レイジも説明する気はあまりないようで。
「自分が構ってもらえなくなると思ってるんでしょー、お子様レイジは」
恐ろしく簡潔に要約して、部屋に現われたのはルジュだった。
すかさずレイジは起き上り、かすかに顔を赤くして吠えた。
「盗み聞きかよ!」
「部屋が空いてたんだもん、ボサ介、これ食べる?」
あ、レイジのは持って来てないから、と付け足して
白猫は笑顔でレイジの激昂を受け流し、ケルの元へ皿を持ってくる。
その上には、薄らと黄色く甘い香りを漂わせる物が乗っていた。
初めは、何かとケルは新しい物に慎重だった。
野菜は草だという認識しかなかったし、初めは汁物しか飲めなかった。
だが今やケルは新しい物を食べるのが楽しみになっていたので、迷わずそれを口に入れた。
「うん、美味いよ。初めて食べた」
笑顔で答えるケルの尻尾が、隣に座るレイジの身体をパタパタはたいている。
反射的に目で追っている自分に気付いて、我に返ったレイジは顔を上げた。
「良かった、これ林檎って言うんだよ」
朗らかに答えるルジュの言葉に、ケルの記憶に何かが引っかかる。
…じゃあ…たとえば――熟れると赤くて、甘酸っぱい実を付ける植物は?
―――!?
視界が揺れる。
一瞬湧きおこった吐き気を、何とかこらえる。
その顔には先程の笑顔は無く、耳を垂らしうつむいて。
落ち込んだ様子で、寝具に腰かけなおす。
「どした…? 大丈夫?」
「おい、それ傷んでたんじゃないだろうな?」
心配するルジュと、非難するレイジ。
「ルジュのせいじゃないから、気にしないで」
ケルは何とか笑ってみせると、深呼吸を一つ。
「ちょっと、嫌なコト思い出しただけだから」
「そう…」
ルジュは、しょんぼりと手にした皿を持って、部屋を出ていく。
その背中が寂しそうに見えて、ケルは思わず呟いた。
「…悪いコトしたかな」
「あいつは大丈夫だろ、それより……、やっぱ何でもねぇ」
レイジはケルに意味ありげな視線を送るが、再びベッドに身体を投げ出した。
「おまえの名前、どーすっかな」
レイジは、思い出したように言った。
「そう言うの分かんないから、任せる…けどボサ介は嫌だな…」
「おう、とびっきり恰好の付かないのにしてやるよ」
期待してる、と声に出して笑いながら、ケルの頭にふっと顔が浮かんだ。
「そう言えば、あの男の人は?」
「ハブさんのコトか? しばらく家には帰らないって言ってたらしいけど」
…家に帰らない?
これは多分、自分絡みの何かのせいに違いない。
そう判断して、ケルは部屋を出ていった。
「あ、おい、どうしたんだよ」
後ろから慌ててレイジが追って来る。
ベスティは、ルジュと楽しげに林檎を食べているところだった。
「あら、もう大丈夫なの?」
ケルの姿を見た彼女が、声を掛ける。
林檎の件を聞いたのだろう。
「なんとか、もう大丈夫です。
あの、ハブさんって、今どうしてます?」
ベスティのカーブした長いヒゲが、ひょこっと揺れた。
「あの人なら、あなたをここに置いてすぐに出てっちゃったわ。
あなたのコトで、あの人なりに考えがあるって…そう言ってたわね」
別に心配ないとでも言うように、彼女は笑っている。
今まで考えないようにしてきた問題が、改めて突き付けられた気がした。
あの日の夜、本当に起きたことを話すしかない…話す必要があるが……。
言えるだろうか。
あなたの夫の命を狙っていました、などと。
だがこのままでは、いけない。
ケルが帰らない上に、もしハブの生存が確認されでもすれば、連中は必ず動く。
そうなれば、この一家を…いや、今既に巻き込んでいると言える。
自分に直接関係ないヒトが犠牲になるのは、嫌だった。
あの男、ハブにしたって、その点では同じハズだ。
恐らく、それが姿を消している理由の一つだろうし。
ケルが戻らないだけなら、あの事件をきっかけに
逃げ出したと思われているかも知れない、いや、そう思われていて欲しい。
ハブはまだしも、ケルには確実に捜索の手が伸びる。
とにかく、すべて話してしまおう――それが重要だ。
「俺、実は―――」