人が並んで通れるようにと、幅広く作られた地下への階段。
その壁に、悲鳴が
地下は石造りになっていて、食料の低温保存にも一役買っているが
響く声が頭を揺さぶり、今はちょっとした障害になっていた。
ベスティは、階段を足早に駆け下りていく。
近付くにつれ聞こえる悲鳴の悲痛な響きが、より確かなものになる。
言葉も、聞き取れるようになって来ていた。
緩やかにカーブする階段のその先に、二人は居た。
他には、洗濯を終えた道着や野菜、薬用品などが散らばっていた。
階段を転げ落ちたと見て良いだろう。
レイジが必死に呼びかけているのは、ケルだった。
「何があったの!」
ベスティが駆け寄ると、レイジがハッと顔を上げた。
「こいつ、突然苦しそうにして…階段を転げ落ちて、それで…」
目の端に涙を浮かべ、レイジは首を横に振った。
後からやって来たルジュが、小さく悲鳴を上げた。
ケルのそばに屈み込むと、胸に耳を当てる。
「大丈夫、とりあえず息もしてるし、脈もある」
ルジュの言葉に、混乱していたレイジが落ち着きを見せる。
「でもきっとケガをしてるわ、運びましょう」
ベスティは足を持ち、レイジに向かって目配せをした。
レイジはケルの左肩に気を付けながら、身体を持ちあげる。
と、突然ケルの右手がルジュの手をつかんで、ハッキリと。
「ごめん……」
そう告げるなり、その手はだらりと落ちて、再び気を失ったようだった。
「…ルジュ、部屋の準備をしておいて!」
ハッとしたようなベスティの声に、慌てて頷くと
ルジュは二人を置いて、一足先に階段を駆け上っていく。
部屋にケルを運び寝かせると、ケルは急にうわ言を言い出した。
焦点がずれているのか、ぼんやりとレイジ達の顔を見て。
「大丈夫かよ、こいつ…」
思わずその顔に触れて、何かを確かめていた手を
レイジが引いた途端、無意識とは思えない握力でケルが腕をつかんだ。
「…薬、服に」
ぽつりと、確かにケルはそう言った。
薬と言われても色々とある。レイジはルジュと顔を見合わせ。
「自前の薬が、あるのかも知れないわ」
ベスティの言葉に、その場を離れようとしたレイジだったが。
「…こいつ、手ぇ離してくれない」
戸惑うレイジの代わりに、ルジュがケルの荷物を調べ始めた。
ベスティは思案顔で、
「あった、これかも」
ルジュが持って来たのは、小さな瓶――中に何か入っている、恐らく薬だ。
「ちょっと待って」
だがそれを横からベスティの手が奪い取る。
「この薬、いったん私が預かるわ」
「かーさん、それでもし何かあったら…」
ベスティは静かに手を上げて、娘の抗議を押しとどめた。
「この薬の正体が分かれば、私にも作れるかもしれないわ。
…この子が今まで
言われて、食い下がろうとしていたのか、レイジも口を閉ざす。
今ここで横たわる黒毛の少年が、昼の街を自由に歩き回っている光景は
二人にも全く想像がつかなかったからだ。
「でも何かあったら、呼びなさい。
これでも昔は医者の端くれだったんだから」
「え、そうなの?」
ベスティの思わぬ過去に、レイジは目を丸くした。
「医者って言うか、助手のままだったけどね」
茶々を入れるルジュに鋭い視線を送り、ベスティは足早に自分の部屋へ歩いて行く。
「ぁでで!」
突然レイジが珍妙な声を上げたので、びくりとルジュは肩を揺らす。
じとっと、彼を睨みつけると少女は憮然とした態度で一言。
「何よ、突然」
「いや、こいつが急に…」
二人の視線の先には、うわ言を繰り返していたケルの姿。
爪が食い込むほどにレイジの腕を強くつかんではいるが、今は眠っているようにも見えた。
「…ねぇレイジ」
シーツを静かに、閉じられた瞳から
「何を、見たんだろうね」
それは、階段を転げ落ちた時のコトか。
それとも、ハブが連れてくる前のコトだろうか。
「さぁな」
いずれにせよ、彼がその答えを知っている訳もない。
別にルジュだって、答えを期待してはいないだろう。
このまま寝かせてやるべきなのか、それとも起こしてやるべきなのか。
レイジには判断できずにいた。
「そっとしとこ」
ルジュの気遣う声色に、レイジは大人しく頷いておく。
外は未だ、風雨が荒れ狂っていた。
木々は悲鳴を上げて四肢を振り乱し、大粒の雫は草花を大地に叩きつける。
そして空が放った、まばゆい光が視界を埋め尽くしていく。
白い波が静まって行くと、腕が自由になったコトにレイジは気付いた。
いつの間にか目が覚めたのか、ケルが身体を起こしていた。
その琥珀の目は、飛び出しそうなほど見開かれていて、何かを怖がっているように見えた。
ぱりっ…小さな小さな音が、遠いどこかで鳴り響き。
それが何であるか、理解するよりも早く。
ガァン!
轟くなどと言う言葉では、およそ表現しきれない爆音。
大気を引き裂き、大地を震え上がらせ、鼓膜を破らんばかりの衝撃波。
それらは容易に、どこか近くに光の槍が降り注いだと想像させた。
「……おい?」
レイジの声に潜む緊張とも不安とも言えぬ響きに、ルジュもそれに気付いた。
ケルが腕で足を抱き込み、その中に頭を沈めて震えていた。
雷を怖がる人はいるが、目の前のコレは、それとは様子が違った。
「もしかして」
思いついた様子で、白い耳を小さく動かしながら、少女はレイジを見つめた。
「荷物運んでる時、雷、鳴らなかったっけ?」
暗闇の中、不吉な光を放つ暗雲を景色の
レイジは、思い返すような視線を空へ送った。
「あの時、地下の作りの話をしてて―――」
ぶつぶつと、記憶をたどって呟きながら、しかし段々とそれは興奮した様子になり。
「―――そうだあの時、窓の外が光った。
通路いっぱいに光が差し込んできて、こいつが震えたんだ。
その後に雷が鳴って…苦しそうにしたと思ったら、階段を踏み外して……」
それで、オレが驚いて悲鳴を上げたんだよ、と締めくくる。
ルジュは、やっぱりねと頷きながら、ケルをなだめるように背中をさすっていた。
ケルは落ち着いてきたのか、顔を上げて
それから不思議そうに涙をぬぐった手を、しげしげと眺めて。
―――ルジュと目が合った瞬間、悲鳴を上げて飛び退いた。