鏡ノ欠片

3.亀裂:贈物

ケルがこの家に運ばれてきてから、ずいぶん経った。
発作もすっかり起きなくなったし、ケガも治った。
未だに薬を飲んではいるが、ベスティが言うには直に全快するそうだ。
気掛かりなのは、自分に迫っているであろう追手の存在だったが…。

ハブが、本当に上手くやっているのかも知れない。
この前、ベスティへ差出人不明の手紙が届いたのだ。
そこには、誰が何処に居ようと関係なく
連中が本気を出したら、その居場所を割り出すであろうと。
そして、この手紙の盗難を恐れて、詳しくは書けないと。
それだけが書かれていた。

襲われた場合、自分がここを護ろうと決めていた。
巻き込まないようにと、最初はこの場を離れようと考えた。
でも、もしかしたら、いや必ず。
どんな手で、あの猫族の男が連中を誤魔化したかは知らない。
それでも奴らは足跡をたどって、ここへ来るだろう。
そうなった時、自分がココに居なかったらどうなる?

何もしないかも知れない。
けど、そうでなかったら。
自分の手の中にある物すら、守り通せる保証なんて無い。
なら手が届かない物を、どうにかできるわけが無い。
それに―――この場所は居心地が良い。
そんな風に思って、良いのだろうか。

ともかくケルは今、人質の可能性だけを警戒していた。
もし自分が倒れる時が来れば、それはきっとケル自身が悪いのだ。
「…少し、寝過ごしたか…?」
普段より少し遅めに起床して、ケルは部屋を出た。

この家にも、すっかり馴染んでしまった自分が何だか不思議だった。
部屋を出ると、まず見えるのは階下に広がる大きな居間。
大人数が集まっても良いよう、テーブルなどは数が多い。
二階まで突き抜けた吹き抜けになっていて、二階の廊下はベランダのように張り出している。

廊下には部屋が四つ―――うち二つは客間だったが、片方をケルが使っている。
廊下の右端、壁際の階段を下りて右手には玄関がある。
正面には、カウンター席のようになったいて、向こう側に調理場が見える。
中への入口は、そのすぐ横。
さらに隣にある扉の先は、治療室。

玄関の反対側には、ベスティ達の私室――ここは基本的に立ち入り禁止だそうだ。
治療室の反対側にも扉があり、その先を左に曲がれば地下への階段。
正面に行けば風呂場などの水場があり、そこは丁度ケル達の部屋の真下だった。

二階への階段の裏側にも通路があり、”離れ”へと続いていて
そこは大浴場があるだけらしいが、ケルは行ったコトが無い。
地下に広がる練武場を使う、門下生たちのためにあるのだとか。
ハブが居ない以上、半分休止状態にしているらしいが。

そんな訳で、ここは街の外れでなければ
とてもではないが建てられないような、かなり大きな家だった。
その広い空間を探すのは、なかなかの骨だったが……。
「いない、か」
ケルは一人、誰ともなく呟く。
白猫親子も、豹の男も見当たらない。
今日は特に仕事が無かったはず―――となると。
「地下か?」

カツーン…。
石造りの階段が、冷たい足音を響かせる。
今は暑さも過ぎ去り、植物たちが実を宿す風の季節。
これから冷え込んでくるこの時期は、地下室は普段以上に冷え込んでいる。

ぴくり。
ケルの耳が、音を拾って動いた。
どう言う訳か、あの三人は朝から地下で何かをしているらしい。
無事を確認してホッとした意識を、再度引き締め、それでも。
―――俺も起こしてくれたら良いのに…いや、起こさないようにしたのか?
少し前の自分なら、考えもしなかったようなコトを思いながら。
キィ…。
ケルは地下の扉を開ける。

「…なに、してる…?」
ケルのいぶかしい響きの声が、石壁に反響した。
そこには確かに、三人が居たが―――それだけだった。
床に座り込むように三人で固まって、他には何もナシ。
食事をしてたなら、食器があるだろうし
本を読んでいたなら、そばに本があるだろう。
だが、そう言った物は何も見当たらない。
…怪しい。
直感が、そう告げていた。

「あ、ボサ介、おはよ」
「何してるんだよ?」
白猫の陽気なあいさつにも流されず、ケルは先ほどよりも強い口調になった。
ケルの視線の圧力とも呼ぶべき何かに、ルジュは勝てないと判断して視線をそらし。
ベスティは予期していたのか、それとなく壁の方を向いていて目を合わせない。
まともに眼光の矢面に立ったのは、レイジだった。

「うっ…そ、そんな目で見るなって!」
尻尾をびくりと跳ねさせて、たじろぐ。
「やっぱり何か隠してる」
じと…っと、ケルの視線は豹の男を逃さない。
別に隠し事が嫌…とかではなく、ただ純粋に気になると言うか
かやの外に置かれてると言うか…やはり嫌なのだろうか。
これは自分に関わることだと、そんな気がするし聞いておきたい。
まさか――ケルはハッとして問い詰めた。

「―――追手か?」
「へ? あ、そう、追手、うん!」
「…の割に、ずいぶんホッとしてる…」
顔を曇らせたケルと、明らかに調子を合わせた様子のレイジ。
場の空気から、微妙に張り詰めていた何かが消え去る。
白の親子は、レイジに冷たい視線を注いでいた。

「あーあ、ホント使えない、この黒ブチ…」
やれやれと、うなだれる白猫が豹をバッサリと斬り捨てた。
「言いだしっぺがボロを出したんじゃ、仕方ないわね」
ベスティは忍び笑いをしながら、レイジをなだめていた。
当のレイジは、すっかりヘコみきっている様子だが。

「で、朝のこんな場所で何を?」
ケルの質問に、やはり白猫の親子は応えずにレイジを見守るだけ。
「決めてたんだよ、三人で」
レイジが言葉を、吐き出した深い息に乗せた。
ルジュがそこに付け足す。
「あたしがボサ介を驚かそうって、面白半分に言ったら…レイジが乗り気になっちゃって」
「私は御馳走を作ろうと思ったんだけど…それはまだ出来るわね」
口々に言われても、ケルには今一つ理解できない。

「おまえの名前、決めてたんだよ」
何かに怒ったようなレイジにそう宣言されて、ケルはようやく事態を呑み込んだ。
「…名前?」
「そう」
「決まった?」
「ああ、おまえには秘密でな」
―――つまり、俺はどうやら…
「ボサ介ったら、自分で楽しみ消しちゃってさー。
 …半分以上は、横に居るバカ正直のせいだけど」
レイジを肘で小突きまくるルジュを見ながら、今度はケルが落ち込む番だった。
やはりそうか、とケルのため息…なんとも余計なことをしたものだ。
正直に言って、名前の件はケルの頭になかった。
今の今まで忘れていた――三人が、ここまでしていたのに。

「”ベルカンド”に決めた」
唐突にレイジが言い放った言葉に、ケルは一瞬首をかしげ。
真横に居たルジュは、絶叫にも似た非難の声をレイジに浴びせた。
「あああぁぁぁあああぁぁっ!?
 なんであんた一人で言っちゃうかなぁ、信じらんない!」
何やら口論を始めた二人は放っておいて、ベスティがケルの手を取った。
「狼族は、本来もっと北に住んでいるから資料が乏しくて…時間が掛かったわ。
 あなた達が ( まつ ) っている神様が遣わしたと伝わる、初代族長の名前だそうよ」
読みが不得手なレイジをルジュが手伝い、名前の候補を上げて。
その中から今、絞り込んでいたのだと言う。

ぽかんと口を開けて聞いていたケルの顔が、次第に ( ほころ ) んだ。
「俺のために、そこまで調べて…?」
「私よりも、あの子たちの方が熱心だったけれどね」
ベスティも嬉しそうにしていたが、ふっと思い出したように尋ねてきた。
「気に入ってくれたかしら、新しい名前」
だが黒狼は静かに、かぶりを振った。
初めて ( ・・・ ) の名前」
「ああ、そうだったわね」
小さく笑う二人のやり取りに、レイジ達が気付いた。
ピタリと言い争いをやめると、小走りで駆け寄って来た。

「ボサ介、ベルカンドで良い?」
「普段は…ベルクにしてくれると良いかな。
 ―――ありがと」
ルジュの問いに少しだけ考えて、決まり悪そうに答えた。
やはり少々、自分にはもったいない名前に思える。
黒い尻尾が静かに揺れていたのは、隠しようがなかったが。


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