どんよりと。
重苦しく立ちこめた、なんとも暗い空気が居間に沈澱していた。
晴れ渡った清々しい空気であふれる外から帰って来たレイジは、ぎょっとして中を見渡した。
店の中には営業再開の知らせを受けて、少し遅めの朝食を摂る客がチラホラ見えた。
そのどの顔も盗み見るように、とある一点に視線を向けている。
ある者は首を振り、ある者は首をかしげ。
その視線の先には、琥珀の瞳を曇らせている狼の姿があった。
さすがに黒い毛まで
その後ろでは白猫の少女が、周りのテーブルに座る客にオロオロと視線を走らせていた。
丁度、ルジュが”いつもの役”を押し付けられているところらしい。
「ベールクッ」
どこまでも陽気な調子で、ルジュはベルクの顔をのぞきこむ。
この空気の中で、ここまでの明るさを振りまけるのは、コイツくらいだろう。
レイジもベルクに用はあったが、成り行きを見守ることにした。
「…ん?」
ベルクは笑ったつもりなのだろうが、
それが分かるのは、恐らくレイジ達3人だけだろう。
「外晴れてるし、散歩とかどうかなーって…思って。
まだまだ見てない場所、いっぱいあるしさ」
などと話し掛け続けるが、いっこうにマトモな反応は返ってこない。
始終、笑顔で語りかけるルジュだったが
話すネタが尽きてきたのか、顔をそのままに、ついに硬直した。
ベルクはしばらく、ぼーっとそれを眺めていたが
周りの視線に気付いたようで、勢いよく席を立ちあがった。
「あ…なんでもないから、ごめん」
重苦しい空気を発散させてたコトに気付いたのか、慌てて部屋に駆け込んで行く。
「…何があったの、レイジ?」
後ろからベスティに声を掛けられて、レイジは唸った。
「いや、たぶん…誤解だと思うんだけど…」
ルジュは両の手を頬に当て、固まった顔をほぐしているところだった。
***
ベスティがレイジに聞いたのには、理由があった。
この日、日が昇り切るより前に、二人は街へ出向いていたのだ。
何だかんだで、意外とベルクの人当たりは悪くなくて
すぐに街の人間と馴染んでしまっていた。
あいつは「何も考えないで話をするのは、気楽で良い」と言っていたが
レイジには、良く分からない。
ただ、レイジも最近は人を避けるのを控えていたし
自分なりの努力の成果も、少しは目に見えるものになっている気がする。
人ごみを見たり、かき分けたりするのは、昔を思い出すからまだ少し嫌だったけれど。
朝の早い時間なら、商店街の店員の姿が見える程度で、そこまで人も多くは無い。
この二人を組ませて外に行かせているのは、もちろん白猫の親子。
買い出しの場所は少し遠くて、いつもの商店街を抜けた先――街の東側だった。
ここは、ゆったりと南北に走る大きな川で発展してきた街で
その川をまたぐように出来た橋が、東西の境目になっていた。
街の東は、西と同じように商店街が続いているが
その北側には大きな市場があって、そこで交易品の売買が行われている。
東の商店街は、主にそう言った物を扱う店が多い。
さらに言うなら、民家は西側に集中していて、東側は旅行者達の寝泊りする宿舎が多い。
レイジ達は茶色い袋に頼まれたものを詰め込んで、来た道を引き返していた。
街の東側はあまり歩かないので、丁度良いからとベルクの散策に付き合ったから
時間はそれなりに経っていて、辺りの青味がかった景色が色付き始めていた。
手渡された買い出しリストには、普段手に入らないような香辛料や食材がズラリ。
もちろん全て買い終わったが、金が少しばかり余ったので
行商人から、ドメの実を余分に買っておいた。
拳大の濃い紫の実で、硬い殻を熱して割って、弾力のある大きな種を食べる。
元々レイジの好物の一つだったのだが、それ以上に誰かさんが好きになってしまったから
多めに買っておかないと、すぐに無くなってしまうだろう。
実際、前回の買い出しで家にあったドメの実は
レイジが後生大事にちまちまと食べていたのだが、ある日
その時は怒りをおさえ、涙して
その誰かさんが、ご機嫌な様子でドメの実の袋に鼻を近づけて
すっとする香りを楽しんでいるのを見て、レイジは小さく笑った。
―――おもしろいやつ…
妙に落ち着いているところがあるかと思えば、好奇心ならコドモ並。
その素直さが、レイジには少しばかり羨ましい。
「…どうした?」
突然、ベルクが耳を澄ました真剣な表情で辺りを警戒し始めたのだ。
つられてレイジも視線を、後ろや屋根の上にめぐらせた。
「なにか、もめ事があるみたい…悲鳴が聞こえた気がする」
視線を橋の向こう、西側の商店街に定めたままに呟くベルク。
言い終えるや否や、ベルクは道を駆け抜け景色の彼方へ消えていく。
前にも同じようなコトがあったが、今回の違いは
ベルクが荷物をがっしりと、手にしたままだと言うコトだろうか。
食い意地ではないと信じたい。
慌てて後を追いながら、レイジはそんなどうでも良いコトを考えていた。
***
「―――それだけ?」
足を組んで椅子に腰かけ、荷物はテーブルに置き。
レイジはルジュ…とその他大勢に、今さっき自分の見てきたことを話していた。
ルジュはそれには納得いかない様子で、腕を組んで不満そうにレイジを見下ろしている。
「買い物帰りに、ベルクが突然何かに気付いて突っ走って…おしまい?」
ルジュが確認するように、レイジの話を要約した。
もっとも、詳しく話しても同じような内容だろうが。
「んー、まぁ、後はオレが直接見たことじゃないんだけどな…」
レイジは荷物の横に置かれた”モノ”を、横目で見ながら話を続けた。
***
レイジが”その場所”にたどり着いた時には、もうベルクの姿は無かった。
誰に話しかけるべきか、ほんの少し迷っているレイジに、すぐ横手で呼び声が掛かった。
「レイジ、丁度良かった…ベルの坊や、知らんかね」
年老いてなお、赤茶色の毛並みを日に輝かせる猫族の女は
この商店街に、装飾品の店を構える夫婦の母親だった。
「何があったんだ?」
レイジは首を振って、辺りの様子を見ながら聞き返した。
近くに何かが突っ込んだような、争った跡があるし、野次馬も多い。
「私んとこの店に、盗人が押し入って来たんだよ」
驚くレイジの視界の隅で、野次馬に囲まれた一人の男が見えた。
なぜか全身ズブ濡れだが、どうやらもう捕まったらしい―――と言うコトは。
「ベルクが…捕まえた?」
レイジの問いに、老婆は頷きながらも暗い表情だった。
「私は知っての通り、足が悪いだろう。すぐに外には出られなくってね…
私が店から出た時は、あの子は向こうへ走って行った後だった」
指さされた方向は、家でもどこでも無く、レイジにはデタラメな方向に思えた。
「おまえさんは朝から一緒だったろう、居ないのかい…困ったねぇ」
ゆっくりと、だがしっかりとした声で、老婆は事情を説明し
片足を引きずりながら、店の中から何かを持ってくると、それをレイジに渡した。
「これは御礼だよ、見つけたら渡しとくれ」
レイジは素直にそれを受け取り、他の人からも話を聞いてみた。
どうやら、旅行客風の盗人は街の西口から逃げようとしたらしい。
突然、ベルクがその道を遮るように現れたかと思うと、男が真横に吹っ飛んだのだそうだ。
それを見ていた人は、ただ呆気に取られていたと言うが…。
***
「だからそんな説明じゃ分かんないって、そう言ってんのよ黒ブチ!」
「うるせーな、オレだって分かんねぇよ、虎女!」
「あたし猫だもん!」
ベスティのおかげで、その場はすぐに治まったが
それでも周りの客たちは、笑いを押し殺すのに忙しそうだった。
「とりあえず、ベスティさんさ」
客の一人が心配そうに、パンをサクリと食べながら声を掛けた。
「あの黒いのには、元気になってもらわないと困るね」
ベルクはどんな話でも物珍しそうにして聞くし――実際物珍しいのだから当然だ。
雑用ですらも、どこか楽しそうにしているし…
と言うと何だかただの変な人なのだが、ベルクはとにかく中々の働き手だった。
「二人は店の手伝いは良いから、上にあがってちょうだい」
ベスティのその言葉に、二人は一緒に頷いた。