鏡ノ欠片

小さな事件<上>

どんよりと。
重苦しく立ちこめた、なんとも暗い空気が居間に沈澱していた。
晴れ渡った清々しい空気であふれる外から帰って来たレイジは、ぎょっとして中を見渡した。
店の中には営業再開の知らせを受けて、少し遅めの朝食を摂る客がチラホラ見えた。
そのどの顔も盗み見るように、とある一点に視線を向けている。
ある者は首を振り、ある者は首をかしげ。

その視線の先には、琥珀の瞳を曇らせている狼の姿があった。
さすがに黒い毛まで ( しお ) れて見えるのは、錯覚だと思いたい。
その後ろでは白猫の少女が、周りのテーブルに座る客にオロオロと視線を走らせていた。
丁度、ルジュが”いつもの役”を押し付けられているところらしい。

「ベールクッ」
どこまでも陽気な調子で、ルジュはベルクの顔をのぞきこむ。
この空気の中で、ここまでの明るさを振りまけるのは、コイツくらいだろう。
レイジもベルクに用はあったが、成り行きを見守ることにした。
「…ん?」
ベルクは笑ったつもりなのだろうが、
それが分かるのは、恐らくレイジ達3人だけだろう。

「外晴れてるし、散歩とかどうかなーって…思って。
 まだまだ見てない場所、いっぱいあるしさ」
などと話し掛け続けるが、いっこうにマトモな反応は返ってこない。
始終、笑顔で語りかけるルジュだったが
話すネタが尽きてきたのか、顔をそのままに、ついに硬直した。
ベルクはしばらく、ぼーっとそれを眺めていたが
周りの視線に気付いたようで、勢いよく席を立ちあがった。
「あ…なんでもないから、ごめん」
重苦しい空気を発散させてたコトに気付いたのか、慌てて部屋に駆け込んで行く。

「…何があったの、レイジ?」
後ろからベスティに声を掛けられて、レイジは唸った。
「いや、たぶん…誤解だと思うんだけど…」
ルジュは両の手を頬に当て、固まった顔をほぐしているところだった。

***

ベスティがレイジに聞いたのには、理由があった。
この日、日が昇り切るより前に、二人は街へ出向いていたのだ。

何だかんだで、意外とベルクの人当たりは悪くなくて
すぐに街の人間と馴染んでしまっていた。
あいつは「何も考えないで話をするのは、気楽で良い」と言っていたが
レイジには、良く分からない。

ただ、レイジも最近は人を避けるのを控えていたし
自分なりの努力の成果も、少しは目に見えるものになっている気がする。
人ごみを見たり、かき分けたりするのは、昔を思い出すからまだ少し嫌だったけれど。
朝の早い時間なら、商店街の店員の姿が見える程度で、そこまで人も多くは無い。

この二人を組ませて外に行かせているのは、もちろん白猫の親子。
買い出しの場所は少し遠くて、いつもの商店街を抜けた先――街の東側だった。
ここは、ゆったりと南北に走る大きな川で発展してきた街で
その川をまたぐように出来た橋が、東西の境目になっていた。

街の東は、西と同じように商店街が続いているが
その北側には大きな市場があって、そこで交易品の売買が行われている。
東の商店街は、主にそう言った物を扱う店が多い。
さらに言うなら、民家は西側に集中していて、東側は旅行者達の寝泊りする宿舎が多い。

レイジ達は茶色い袋に頼まれたものを詰め込んで、来た道を引き返していた。
街の東側はあまり歩かないので、丁度良いからとベルクの散策に付き合ったから
時間はそれなりに経っていて、辺りの青味がかった景色が色付き始めていた。

手渡された買い出しリストには、普段手に入らないような香辛料や食材がズラリ。
もちろん全て買い終わったが、金が少しばかり余ったので
行商人から、ドメの実を余分に買っておいた。
拳大の濃い紫の実で、硬い殻を熱して割って、弾力のある大きな種を食べる。

元々レイジの好物の一つだったのだが、それ以上に誰かさんが好きになってしまったから
多めに買っておかないと、すぐに無くなってしまうだろう。
実際、前回の買い出しで家にあったドメの実は
レイジが後生大事にちまちまと食べていたのだが、ある日忽然 ( こつぜん ) と姿を消したのだった。
その時は怒りをおさえ、涙して ( さと ) すにとどめたが。

その誰かさんが、ご機嫌な様子でドメの実の袋に鼻を近づけて
すっとする香りを楽しんでいるのを見て、レイジは小さく笑った。
―――おもしろいやつ…
妙に落ち着いているところがあるかと思えば、好奇心ならコドモ並。
その素直さが、レイジには少しばかり羨ましい。

「…どうした?」
突然、ベルクが耳を澄ました真剣な表情で辺りを警戒し始めたのだ。
つられてレイジも視線を、後ろや屋根の上にめぐらせた。
「なにか、もめ事があるみたい…悲鳴が聞こえた気がする」
視線を橋の向こう、西側の商店街に定めたままに呟くベルク。
言い終えるや否や、ベルクは道を駆け抜け景色の彼方へ消えていく。

前にも同じようなコトがあったが、今回の違いは
ベルクが荷物をがっしりと、手にしたままだと言うコトだろうか。
食い意地ではないと信じたい。
慌てて後を追いながら、レイジはそんなどうでも良いコトを考えていた。

***

「―――それだけ?」
足を組んで椅子に腰かけ、荷物はテーブルに置き。
レイジはルジュ…とその他大勢に、今さっき自分の見てきたことを話していた。
ルジュはそれには納得いかない様子で、腕を組んで不満そうにレイジを見下ろしている。

「買い物帰りに、ベルクが突然何かに気付いて突っ走って…おしまい?」
ルジュが確認するように、レイジの話を要約した。
もっとも、詳しく話しても同じような内容だろうが。
「んー、まぁ、後はオレが直接見たことじゃないんだけどな…」
レイジは荷物の横に置かれた”モノ”を、横目で見ながら話を続けた。

***

レイジが”その場所”にたどり着いた時には、もうベルクの姿は無かった。
誰に話しかけるべきか、ほんの少し迷っているレイジに、すぐ横手で呼び声が掛かった。
「レイジ、丁度良かった…ベルの坊や、知らんかね」
年老いてなお、赤茶色の毛並みを日に輝かせる猫族の女は
この商店街に、装飾品の店を構える夫婦の母親だった。

「何があったんだ?」
レイジは首を振って、辺りの様子を見ながら聞き返した。
近くに何かが突っ込んだような、争った跡があるし、野次馬も多い。
「私んとこの店に、盗人が押し入って来たんだよ」
驚くレイジの視界の隅で、野次馬に囲まれた一人の男が見えた。
なぜか全身ズブ濡れだが、どうやらもう捕まったらしい―――と言うコトは。

「ベルクが…捕まえた?」
レイジの問いに、老婆は頷きながらも暗い表情だった。
「私は知っての通り、足が悪いだろう。すぐに外には出られなくってね…
 私が店から出た時は、あの子は向こうへ走って行った後だった」
指さされた方向は、家でもどこでも無く、レイジにはデタラメな方向に思えた。
「おまえさんは朝から一緒だったろう、居ないのかい…困ったねぇ」
ゆっくりと、だがしっかりとした声で、老婆は事情を説明し
片足を引きずりながら、店の中から何かを持ってくると、それをレイジに渡した。
「これは御礼だよ、見つけたら渡しとくれ」

レイジは素直にそれを受け取り、他の人からも話を聞いてみた。
どうやら、旅行客風の盗人は街の西口から逃げようとしたらしい。
突然、ベルクがその道を遮るように現れたかと思うと、男が真横に吹っ飛んだのだそうだ。
それを見ていた人は、ただ呆気に取られていたと言うが…。

***

「だからそんな説明じゃ分かんないって、そう言ってんのよ黒ブチ!」
「うるせーな、オレだって分かんねぇよ、虎女!」
「あたし猫だもん!」
ベスティのおかげで、その場はすぐに治まったが
それでも周りの客たちは、笑いを押し殺すのに忙しそうだった。

「とりあえず、ベスティさんさ」
客の一人が心配そうに、パンをサクリと食べながら声を掛けた。
「あの黒いのには、元気になってもらわないと困るね」
ベルクはどんな話でも物珍しそうにして聞くし――実際物珍しいのだから当然だ。
雑用ですらも、どこか楽しそうにしているし…
と言うと何だかただの変な人なのだが、ベルクはとにかく中々の働き手だった。

「二人は店の手伝いは良いから、上にあがってちょうだい」
ベスティのその言葉に、二人は一緒に頷いた。


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