メドウが雑貨店を閉め終える。
客の入りはそこそこだったらしく、上機嫌だった。
ベスティとルジュは食堂を片付け、軽く翌日の仕込みを済ませる。
レイジやベルクは、練武場の整備をする…それが日課だった。
だが今日は、その後…
客人ふくむ、全ての人が寝静まったのを確認して、ベルクは行動に移った。
寝具に
ふわりと、冷たい夜気が風に乗って部屋に流れ、夜色の毛を揺らす。
部屋の外に背中を見せる姿勢で、窓の
重心を後ろへ傾けて、そのまま外へ。
念のため、落ちる直前に左の手で窓を閉めておく。
落下の途中で外壁に足を掛け、蹴り飛ばす。
静かに、それでも確実に力を込めて。
宙で回転しながら姿勢を正して、そばの枝をつかみ、着地する。
ベルクは、後ろを振り返った。
家に明かりは無いし、家の周りの土に新しい足跡は付けていない。
今いる辺りの草は、少し踏んだくらいでは跡が残らない。
ベルクはわざと足を強く踏みしめながら、しばらく木々の間を歩いた。
ブラブラと無造作に進める歩みが、ピタリと止まる。
「出立が朝なら、”約束の時間”は今だろう?」
頭上に広がる枝葉、その一点を見つめてベルクは見えない誰かに呼びかけた。
風もないのに辺りがざわめき、ベルクの前に一つの影が降って来た。
「…やっぱり私のこと、口説きたかった?」
忍び笑いをしながら現れたのは、護衛の一人を任されていた女。
ベルクに道案内を頼んできた、あのローブ姿だった。
今は、ローブを着ていなかったが
その姿が
「回りくどいのは嫌いだ…けど、一応は聞いておく」
ベルクは深く息を吸って、吐いた。
「何の用、プルー?」
ざぁっ…。
足元の木の葉が、二人の間を流れ行く。
「良く、分かったね」
女の声色が変わり、人影は大きくなったように見えた。
「会った時から、妙な感じはしてた」
「あの女の子には、恋心だって言われてたね?」
押し殺した声で、彼女は笑う。
笑いが治まってからもう一度、ベルクは問いなおした。
「こんな話するために来たんじゃないだろ」
「…少しくらい、会話を楽しんだって良いじゃないか」
ベルクの沈む声とは対照的に、プルーのそれは何処か明るい。
すらりと、黒い刃をベルクは無言で突きつける。
「私は別にケルとやる気はないよ、誓っても良い。
だからそれ、しまって欲しいね」
しばらく、それには応じないベルクだったが、やがて剣を下ろした。
「私はケルに、伝えたいコトがあっただけだよ…聞きたい?」
「プルーの話なら、聞いても良い」
絞りだしたベルクの声に、プルーは笑顔で応じた。
「端的に私の用件を言おうか」
プルーはベルクに、手を伸ばした。
「戻っておいでよ、ケル。今なら間に合う」
青の瞳に射抜かれて、琥珀が揺れる。
声の震えを抑えながら、ベルクは首を振って答えた。
「…今回の件で、俺は捨てられる予定だった―――違う?」
「私は、何も聞かされてないから…」
「薬に毒が混ざってたのも、知らなかった?」
今度は、プルーが動揺する番だった。
「そんな、ケルにそんなコトする必要がどうして…」
「…俺のことを、しっかり”繋いで”おきたかったんだろ。
首輪を千切って逃げれば、勝手に死ぬように、さ」
苦々しい呟きの後には、葉擦れの音だけが響いた。
何か思う節があるのか、プルーの顔が険しくなった。
「今ならまだ戻れるけど、面白半分にケルを探してる連中も居るんだよ」
プルーが顔を
「へぇ、そいつらも俺のこと連れ戻しに?」
茶化してみたら、プルーが本気で睨んで来るのでベルクは肩をすくめた。
「プルーの気持ちはありがたいけど、俺はもう戻れない」
「…どうして?」
こんなの、少し前の自分なら思いもしなかっただろうけど。
こんな風に思って、良いのか分からないけど。
「今の生活が、楽しいんだ。
時々失敗もするけど、下らないコトで笑ってられる」
確かに、飛ぶように時間はすぎるし、やまかしいのが身近に居る。
騒々しいし、慌ただしくて、時々自分が置いていかれる。
知らないことだって、一杯ある。
―――でも、嫌じゃない。
「けど、苦しいことだってある…違う?」
何かに焦るような、すがるような
危うい響きを含んだプルーの言葉を振り払うのは、ベルクには辛い。
「それは何処に居ても同じだって。
いつか教えてくれたのは、プルーだった」
プルーは押し黙って、うつむいた。
唯一の気掛かりが…姉のようで友人のような人が
いつもと様子が違うことに、ベルクは不安になり始めた。
「プルー、もうやめよう」
月明かりがかげって、プルーの顔はよく見えない。
「俺なんかよりプルーは良い奴だし、これ以上―――」
「―――私は、良い奴なんかじゃないよ」
ベルクの声に被せて吐き捨てる言葉に感じるモノがあって、ベルクは察しを付けた。
きっとプルーに何か、あったんだ。
「俺に色々教えてくれたのは、プルーだろ?
もうそんな場所で悩むの、やめてくれよ。
普通の生活だって、きっと…」
言葉は、そこで途切れた。
こんな言葉じゃ届かないと、彼女の様子を見て悟った。
「私は、普通じゃないから。
私はケルみたいになれない。だから次会う時はきっと…」
「俺もう…誰かを死なせるのも、誰かが死ぬのも、見たくないんだ」
語気を荒げたベルクに、プルーは驚いて顔を跳ねあげた。
「…ちょっと見ない間に、ずいぶん甘くなったもんだねぇ」
ふっと浮かんだプルーの笑顔は、ベルクの記憶の中のそれと、同じものだった。
「その甘さに免じて、ケルはここには居なかったって…そう言っといてやるよ」
手を振って去ろうとする獅子を、慌てて呼び止めた。
「プルー! 俺、今度は人助けがしたいんだ。
でもその前に一人ででも、やることがある…その時までにプルーには―――」
プルーはそのセリフを、手を挙げて制した。
「ケル…その先を、私は聞く訳にはいかないんだ。
先輩に余計な気遣いなんて、するもんじゃないよ」
言い返してやろうと思ったが、言葉が詰まって、結局ベルクは何も言えなかった。
「と言うことで、ケル。明日の道案内は要らないよ…ありがとうね」
寂しそうな笑顔を浮かべるプルーに、自分はどんな顔をしているのか。
ベルクには、分からなかった。
「それと、そこの”オチビさん”にも、よろしく言っといとくれ…元気でね」
言うが早いか、プルーはその場から立ち去った。
後には、覚悟を決め切れない黒狼が、一人立ち尽くすだけ。
木々のざわめきが、身体の奥を波立たせる気がした。
プルーの差し伸べた手をとらずに、連れ出すことも出来ずに。
次に会ったらどうすれば良いのか、まだ分からない。
しばらく、闇の向こうをじっと見つめた後に、ベルクは口を開いた。
「……で、なんのつもりだ?」
樹の幹の影から、こっそりと現れたのはルジュだった。
話してる途中で現れたのは、気付いてた。
でもそれを言えば、少なからず危険が及ぶと考えて、何もしなかったのだ。
「…レイジのこと、相談しようと思ったら居なかったから…つい」
さすがに申し訳なさそうに、白猫はうなだれた。
「途中で逃げれば良かったろ?」
「だって、なんか怖かったから、動かない方が良いかなって」
あながち、間違ってはいない。
「こんな時間にか…確かに、自分の相談は無さそうだもんなぁ…」
先ほどのプルーの様子が頭に浮かんで、そんな言葉が口からこぼれた。
「…あたしだってあるよ、気にしてること」
しかしそれが、少女の何かに触れてしまったらしい。
その声には、怒りに似た何かが感じられて、ベルクはハッと顔をあげた。
ルジュは半ば叫ぶように、声を張り上げた。
「ボサ介が時々、あたしのこと見ないようにしてるの知ってる。
それが何なのかも、良く知ってる。 どうしようもないのも、知ってるもん!」
「…何を…? あ、おいっ」
困惑するベルクを置いて、ルジュは家に向かって駆けていく。
その姿が見えなくなってから、ベルクは足元の葉を蹴散らす。
―――これじゃ、ただの八つ当たりだ
ベルクは重い足を動かして、帰路についた。
3.亀裂 −Fin−
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〜あとがき〜そのものズバリ、すれ違いや絶交を示す”亀裂”。
全話を通して、頭に浮かんでいた話の半分か…それ以上は書き終えました。
雷鳴、新体験、騒動、小さな事件、岐路。
この辺りの話を、膨らませて書きました。
ケルやプルーの名前はトランプが元ネタで、人名は大体読みをいじってます。
トランプは、ハート(器,杯) ダイア(富) クラブ(棍棒,鈍器) スペード(刃,剣)の柄があるので
豊かさのPlentyから、プルー。
棍棒のCudgelから、カッジェ。
こっそり斬るイメージを持つ、スペードの4番からCreapで、ケル。
怒りっぽいレイジやら、口紅のルジュやら、そんな感じです。