毛の艶もなくなり、顔には深くしわが刻まれて。
それでもなお、威厳は衰えることは無いようだ。
いくらベルクでも、目の前の存在が
一族の中でも特別なものだと言うのは、すぐに理解できた。
背の低い老婆は、ベルクを足元から耳の先までを
値踏みするように見つめてから、ふっと笑みを浮かべた。
特に何か言うわけでもなく、ベルクの脇を通って中へと入って行く。
不審そうにベルクを見ていた周りの男も、それに
ベルクに見向きもせずに、その横を歩いて行く。
中からは何か一声聞こえたかと思うと、一瞬にして静寂が訪れる。
ベルクは、このまま外に居れば良と考えて、特に中へ注意は向けなかった。
同行するとは言え、やはり部外者の自分がわざわざ入るコトは無い。
レイジが、気後れしていなければ良いが。
宿の壁に背を預け、空を眺めていると
突然横手で扉が開き、ぬっと伸びた手がベルクを中へ引きずり込んだ。
よろけながら扉をくぐると、目の前にはあの老婆が居た。
その横にレイジも立っていたが、気の毒なほどに固まっている。
「これが、その二人か?」
「はい、婆様」
思っていたよりも、ずっとハッキリと耳に届く声で老婆はそう尋ねる。
それに答えたパッドが、深々と礼をする。
老婆はレイジの顔をじっと見つめる。
レイジの瞳が揺れ始めても、見つめ続け。
「…二人とも、私の借りた部屋へおいで」
それだけ告げると、スタスタと立ち去ってしまった。
レイジは安心したように、止めていた息を吐いてベルクを見た。
その眼がうんざりだと言っていたが、ここで帰る訳にもいかない。
どよめく人の群れの中を、レイジとベルクは進んで行く。
部屋に入り、ゆっくりとその先の椅子に歩みを進めながら
背中を向けたままで、老婆は二人に話しかけた。
「我等が一族の子、おまえの本当の目的は何だね?」
レイジは、ギクリと身を震わせる。
「祭典に向かう理由?」
「そうだ…おまえの親が先に発ったと言う話、あれは嘘なのだろう」
ふぅ、と老婆は大きな息をついて、深く椅子に腰かける。
レイジは言葉を詰まらせてしまい、老婆がしわがれた笑い声をあげた。
「別にとって喰おうなんて思っちゃいない。
そんなに怖がっているから、嘘だとばれるんだよ。早くお言い」
レイジは観念した様子で答えた。
「理由は……別に、無い」
「ないだって?」
老婆の目が驚きに丸くなり、ぎょろりとしたその顔が
レイジには少し怖くて、必死に言葉を探して慌てて付け足す。
「行ったこと無かったから、やっぱり気になるし、その…
……迷惑だったら、帰ります」
最後はうつむいて、その声はかすれていた。
「迷惑だなんて、思っていないよ。
ただ、私の後を継いだ巫女が、おまえに何かあると言うんだよ」
獣脂で燃える燭台の炎が、揺らめいた。
その下に、ひっそりと立つのは、鈴を鳴らしていた女だった。
……りぃん……
鈴の音が静かに響く。
「私の後を継いだと言っても、まだ見習いでね…口は利けないんだ。
おまえは何をそんなに怖がっているのかと、そう聞いてるよ」
鈴の音ではさほど変化は付かないと思うが、どうやらそれで意思を伝えているようだった。
老婆は巫女の言葉を代弁し、レイジに再び問いかける。
「それは……」
レイジには、この巫女と老婆が気味悪く思えた。
この独特の底の見えない、見透かされるような雰囲気が嫌だった。
許されるならこの場から逃げたい程で、いつにも増して話しにくい。
「まぁよい、やましいことでは無いのは分かっている。
無理に聞く気もないから、安心おし―――おまえの面倒は双子に見させよう…お入り!」
なだめるような優しい口ぶりで話していたかと思うと、老婆は腹に響く声を発した。
思わず姿勢を正す二人の後ろで、扉が開いた。
入って来たのは、ジェグとパッドの二人。
「おまえ達が迎えた客だ、面倒を見な」
双子は首のあたりに手をやって、老婆に深く頭を下げた。
もう用が済んだようで、部屋を出ていこうとしたが
なぜかベルクだけは、呼び止められてしまった。
「そこの狼の、おまえは少し残っておくれ」
廊下から再び顔を出したジェグは、ベルクに目で合図すると扉を閉めた。
「これは私の質問なんだがね、どうして護衛役を申し出たんだね」
「連れの付き添いですけど…もめ事の件でしたら、無粋な真似をしました」
ベルクも双子を見習って、同じ仕草で深く頭を下げる。
「それだけかい?」
一拍ほど置いて、念を押すように
琥珀の瞳を
「それだけです」
視線を外さず、ベルクはハッキリと答えた。
「…なら良いが、半額を下回るような護衛の腕では無いだろう。
本来必要な人数は足りているが、ここは相場の7割で手を打とうじゃないか」
こうして、二人は正式に迎え入れられた。
レイジは、前を行く双子を見て、小さく息を吐いた。
未だに同族が怖かったが、それもさすがに少しは和らいだ。
まずは、最初の壁を越えたと言ったところか。
レイジがハブに拾われるまでに、頭に刻み込んだ信条がいくつかある。
その中で特に意識しているのは、三つ。
『なるべく事は荒げるな』
まだ力もさほど無かったし、背も低かった。
穏便に済ませないと、危険な目に遭うのは自分だった。
もしケガをしても、医者に診てもらえる訳もない。
衛生環境なんて言葉とは、無縁の生活。
ケガのせいで熱が出ようものなら、命に関わった。
物を盗んだり奪い取ったりはしなかったのは、そのせいだった。
『出会った人間は、疑ってかかれ』
これもやはり、自分の身を護るためだった。
見た目通りの中身をした奴ばかりなら、こんな苦労はしない。
それは今でも、たまに思っている。
ただこの言葉は、出会って間もない相手だけに当てはめるモノでは無い。
いつ捨てられても良いように、心構えをしておけ。
そう言う意味も含んでいた。
『弱味は見せるな』
特に胸の印、これを”表”の人間に見られると
顔を覚えられてしまった時に、厄介なコトになる。
その印を見た途端に、態度を変える奴も居たのだ。
そうなると、生活がしにくくなる。
今まで、そうして来た。
ベルクの時は、逆に気が引けたせいで話してしまったが
ベスティやルジュにだって、まだこの名残を見せている。
この三つには『なるべく人に近付くな』と言う前提があったからだ。
でもきっと、自分から近付かないといけない時も、ある。
いつか”昔の自分”に出会ったら、ちゃんと話ができるように。
だから。
レイジは今、それを破ろうと決めた。