鏡ノ欠片

一時の

まだ暗さの残る、朝の早い時間。
他の人が眠りから覚めない内に、ベルクとレイジは宿を出て
家の戸を叩いていた。
こんな時間だが、当たり前のように家の住人は起きていた。
扉を静かに開いたのは、白猫の少女だった。
鈴の音が鳴るような外行きの声は、すぐに普段のものに変わったが。

「はーいって何だ、レイジか…それに、やーっぱりベルクも一緒だった」
「…オレは、ルジュに言われたんだと思ってた」
二人の視線を浴びて、ベルクは肩をすくめた。
「だって、放っておけないだろ」
ベルクはレイジに打ち明け話をされているし、余計に気にかけていた。
事実、あそこで出ていかなかったら、どうなっていたことか。

ルジュだって、気にしていたのをベルクは知ってる。
ただ、きっぱり同行を断られた以上、自分が出向けば文句を言われると、そう思っていたようだった。
「勝手に居なくなって…あたし達、心配したんだから―――まぁ一瞬だけど」
「一瞬だとよ」
ベルクは二人に見つめられ、再び肩をすくめて謝った。
「悪かったよ」
「え? どうせレイジのトコだろうって、見当は付いたし…別に…」
「―――この前は、八つ当たりして悪かった」
ああ、と思い出したようにして顔を伏せるルジュ。
レイジが交互に顔を見比べるが、どちらも何も答えない。
「あたしも、余計なコト言ったけど…でも、”分かる”のは本当。
 ……ほら、早く中に入って。かーさんも居るし」

出発まで、まだ少し時間がある。
その間にレイジの荷物の補充をしつつ、あれこれと話をしていた。
テーブルの上には皿が並び、その一つにはドッサリと果実が盛られていた。
レイジも好物だと言うドメの実、明日からはしばらく縁が無いかも知れない。
ベルクも丁度、そんな風に考えていたので嬉しかった。

「そうだベルク、これ持って行ってちょうだい」
それは薬にしては量が多いから、普通の飲み物の入った容器のようだった。
それを何本か手渡された時、レイジは風除けの外套やら防寒具を探していた。
街を流れる川の上流、北の山を越えるらしいから、その準備が要るのだ。

「これは…?」
首をかしげるベルクに、ベスティは微笑む。
「道中、レイジが食事を終えたら飲ませてあげてちょうだい、必要な物なの」
特に疑いもなく、ベルクはこくんと一つ、頷いた。
丁度レイジが戻って来て、不満そうな顔をした。
「なんでベルクは準備終わってんだよ、オレより時間無かったろ?」
「何処でも行けるような荷物を持ち歩いてるし、全部部屋にあるから」
道中何があっても良いよう、ベルクは最低限の量で色々と携帯していた。
もっとも標準装備でしか無いので、極寒の地を歩く場合などは、もっとしっかりした物が無いと危ない。

「…楽しんで来られると良いわね」
ベスティにレイジは小さな声で返事をした。
まだ不安なのだろうか。
果実やら温かいパンやらをつまみながら、ベルクはレイジの様子をうかがった。
ベルクが一人でドメの実をパクついていても、レイジはどこか上の空。

そろそろ戻らないと、まずいだろうか。
ふと窓の外を見て、ベルクはそう感じた。
あれから、時間は意外と過ぎているようだった。
「レイジ、そろそろ行こう」
身体を揺すったところで、初めてレイジは我に返ったようだ。
「え、あ、そうだな…って、ああっ!?」
鋭い悲鳴に、ベルクは身体をのけ反らせて耐えた。
「なんだよ、急に?」
「……ドメの実は!?」
なおも悲鳴を上げる豹に、黒狼は笑顔で提案した。
「帰って来てから食べれば?」
「おまえ一人で喰いやがったな!」
ベルクは黙って、手にしていた最後の一つをレイジに渡した。
文句を言いつつも、それを口に放り込んで
ベルクを恨めしそうに見ているが、口を動かしながらでは迫力はあまり無い。

「あなた達が居なくなると、静かになっちゃうわね」
ベスティが頬杖をつきながら二人を見守った末、そう言った。
「まさかオレらが居ないと、寂しい?」
「そうね、ルジュもそう言ってた」
冷やかすような態度のレイジだったが、さらりと切り返され、たじろぐ。
「帰って来てから後悔すんなよな」
憎まれ口を叩いて、一人でとっとと家を出て行ってしまった。
「分かりやすい奴…」
それを見て、ルジュが感心したように声を漏らした。

「じゃあ、俺も」
席を立ちあがったベルクを、しかしベスティは呼び止めた。
「実は取っておいたのよ、ドメの実。
 …ちゃんと渡してちょうだいね、あなたも気を付けて」
布袋を一つ手渡され、ベルクはそれを見て伏し目がちに尋ねた。
「どうして、俺みたいな奴の心配を?」
ずっと、気になっていたコトだった。
でも聞くに聞けなかった、怖かったのかも知れない。
そう思うと、レイジをバカにする訳にもいかなそうだ。
あの時はレイジをダシに、はぐらかされた気がしていた。

しばらくベルクの瞳を覗きこんでいたベスティが、ふっと笑った。
「本当は『ハブが喧嘩を仲裁した』なんて話、私が作ったの」
ベルクがこの家に運ばれて来た時、ベスティはあたかも
その話を、ハブが言ったような口ぶりで話していたハズだ。
「私はちゃんと、最初からあなたの話をハブから聞いてるわ」
「なら、どうして?」
ベルクには、ますます話が分からなくなった。

「実を言うと、私も気が進まなかったの。
 あの人に説得されて―――ああ、私に何を言ったかは、ハブに直接聞いて」
ここでルジュが何かを察したように、コッソリと居間を出ていこうとした。
それに気付いてベルクは小さく手をあげて、別れの挨拶をした。
「孤児院を開くのが、昔の私の夢だった。
 でも、あの頃は何処を見たって孤児であふれててね」

あの頃と言うのは、ベルクが独りで過ごした、あの頃だろうか。
「…でもって言うのも変だけど、あの時は自信が無かったの。
 私ができることなんて少ししか無いって…諦めたのを、後悔してる」
そこで言葉を区切って、ベスティは茶を飲んだ。
「これは私のためでもあるんだから、気にしなくて良いのよ」

「…おい、早く来いよ」
ふと戸口を見れば、レイジが顔をのぞかせていた。
「まさかずっとそこに居たの?」
「そんな訳あるか、戻って来たんだよ」
それはそれで、どうかと思うが。
二人が外に出ると、上から声が聞こえた。
「とっとと帰って来てよね」
窓から見送るルジュに手を振って、二人は家を後にした。


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